虚無の穴を埋めるもの・推し活シリーズ⑤

こころ

この記事は、推し活シリーズの一部になります。そんなシリーズがあったのかと思われるかと、実はこっそりシリーズ化してたのですね。「なんだ、なんだ。知らないところで、何やってんだ?」という、推し活に対する驚きから始まった探索は、様々な気付きを経て、思わぬ方向に発展していくのです。

最初の記事は、『推し活にハマる人々・推し活シリーズ①』で、二番目の記事は『推し活にハマる人々・リターンズ・推し活シリーズ②』、三番目の記事は『存在することの痛みと、依存症・推し活シリーズ③』、そして最新の記事が『推し活にハマる人々・まとめ・推し活シリーズ④』になります。よろしければ、それぞれの記事を読んで頂ければ嬉しいのですが、最後に書いた記事の『推し活にハマる人々・まとめ・推し活シリーズ④』の前半部分に簡単にその記事までの経緯をまとめてあります。取り敢えずは、そちらの記事を読んで頂ければ良いかと思います。

存在するという虚無の穴

前回の記事で、推し活とは、『自分が存在していることへの虚無感を、誰かの役に立っているという価値、ないしは意味で埋め合わせようとする行為』であると結論付けました。少し説明をしておくと、人は多かれ少なかれ心の中に虚無感を持っている。そしてその虚無の穴を埋めるために、様々な試みをするということです。その虚無は、自己存在の不確実性と言い換えることができるかも知れません。ここからは、自分の心に照らし合わせながら読んでいただきたいのですが、あなたもまた自分が存在することに自信が持てないでいるのです。

自我は意味の集合体に過ぎません。肉体という物質を持っているとしても、それはいずれは失われてしまうものです。それに、それは肉体であり自我自体ではありません。あなたである自我は、実在しているかという観点からみれば、それは空っぽの器です。実際のところは器すら存在せず、虚無の穴に過ぎません。だからこそ、自我は、その穴を意味で埋めようとするのです。無論、それもまた意味に過ぎず、本質的に埋めれるものではないのですが、それらの努力が推し活であったり、依存症であったりするわけです。そして、それらの努力が、文明や文化を作ったという側面はあると思いますのでまだとまでは言わないですが、虚無の穴を埋めるという目的からすれば、無駄な行為だと言わざるを得ないと感じます。幻であることを、幻で埋め合わせることはできないからです。

穴を埋めるもの

それでは、その虚無の穴を埋めることのできるものは何なのでしょうか? 多くの人が、その穴を埋め合わせようとしています。その方法が、推し活による『誰かの役に立っているという価値、ないしは意味』という実感です。もちろん、それだけてはありません。パチンコで勝ったという充実感だったり、高学歴である事実だったり、お金持ちであったり、美人であるというような、私というアイデンティティの強化です。

おそらく一時はそれで、虚無の穴を埋め合わされたように感じられるかも知れません。しかし、それらもまた意味であり、唯識的な観点で言えばやはり幻にしか過ぎません。永遠に、虚無の穴を塞げるものではないのです。ネティ・ネティ(それは私ではない)という言葉によって、本当の私ではないと否定されてしまう程度の私に過ぎないのです。

それでは、虚無の穴を塞げるものではあるのでしょうか。もちろんあります。ネティ・ネティという言葉が、私を否定していく目的は、それを見付けるためなのです。それは意味ではなく実体であり、認識の間接性を超えた実在で、紛うことのない私でなくてはなりません。そうでなくては、所詮は一時しのぎの気休めに過ぎないからです。それでは、その虚無の穴を恒久的に埋めるものは何なのでしょうか。それは、ネティ・ネティという言葉の導くところであり、アートマン、すなわち真我です。アートマンのみが、本来的な意味で、その穴を埋めることができるのです。

しかしながら、アートマンと出会うことは、それこそ悟りや一瞥体験というよな経験をするしかありません。それは、限りなく不可能に近く、自我の努力で何とかなるものでもありません。推し活で、人生が豊かになると思えるなら、そちらの方をお勧めします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました