存在することの痛みと、依存症。

こころ

人は常に、耳鳴りのようなノイズに悩まされているのではないのでしょうか。しかし、そのノイズが、『常に』であるために、耳鳴りがそうであるように、人はそのノイズを意識することができないのです。多くの場合、自分がそのノイズに悩まされていること自体に気付いていない。それなのに、人はそのノイズを消すことに躍起になっている。そして、やはり耳鳴りがそうであるように、そのノイズを取り除くことは、耳を塞いでも、鼓膜を破いても叶わない。そのノイズは、自分の頭の内側から聞こえているのです。頭を爆破でもしない限り、そのノイズから逃れることはできない。

ノイズと依存症

人は生きている限り、そのノイズに悩まされ続けるのです。それは生きているということと、等しいのではないかと思えるほどです。静けさの中で耳鳴りが際立つように、そのノイズを緩和する方法は別のノイズで掻き消してしまうしかありません。宇宙背景放射のように始終鳴り続けるそのノイズとは、いったい何なのでしょうか。

僕がそのノイズの存在に気付いたのは、依存症について調べていたときのことです。依存症といえばアルコール中毒や、薬物中毒といったものに限定されるものと認識しがちですが、実際には非常に広い意味で使われます。カフェイン依存や、恋愛依存、セックス依存、仕事依存なと数え上げればキリがありません。おおよそ、快楽を伴う行為は依存症になり得ると言っても構わないのだと思います。そして、仕事依存症など苦しい行為に依存することも考えれば、有りとあらゆる事柄が依存の対象になると言えるのだろうと思います。

依存症は何らかの快楽を求めた結果、それに依存してしまったと考えがちですが、そうとも言えないそうです。苦しみに依存する場合もありますし、その苦しみが間接的に快楽の役割を果たしているとしても、快楽求めるものなら人はその快楽に飽きるのです。しかし、依存症は飽きることがありません。回数を重ねれば重ねるほど、人はその対象への依存を深めていくのです。

ここで、発想の転換が必要になります。依存症の人が依存する目的は、快楽を得ることではないのではないかということです。彼らは苦しみを緩和するために、快楽に依存し続けているのではないかということです。つまり、痛み止めです。痛み止めは、飽きることはありません。痛みが存在する以上、痛み止めは必要になります。

友達の場合

僕の友達で、仕事ばかりしている女性が居ます。彼女は、フルタイムの仕事をしながら、それ以外にも複数のアルバイトをしています。少しでも時間に空きがあれば、バイトアプリを使って、時間単位で仕事を入れていきます。僕から観れば、明らかに働き過ぎです。そして、彼女がそこまでして働く理由が良く分かりませんでした。もちろん、直接聞いてみたこともありますが、彼女自身も良く分からないということでした。出世したい訳ではないし、お金が欲しいのは事実ですが、借金がある訳でもなく、そこまでしてお金を稼ぐ必要はありません。

そうだとしても、やはり彼女には、彼女も気付いていない働く為の理由があるはずです。僕が彼女と話していて、彼女がそこまで働く理由に納得したことがあります。昔はそんなに働いていなかったというのです。それまでは、空いた時間はパチンコを打っていた。あるときパチンコで大負けをして、きっぱりとパチンコ止めたと言うのです。そして、これほど働くようになったのは、それからのことだと言うのです。つまり、彼女は、過去には、ギャンブル依存症であり、現在は仕事依存症なのです。依存する対象が変わっただけで、依存症であることは変わりません。彼女は依存症だから、それほどまでに働いているのです。そして、依存症が痛みを緩和する為のものであるなら、彼女は痛みを取り除くために、仕事を痛み止めとして摂取し続けているのです。ノイズを聴かないために、別のノイズを耳元で鳴らし続けているのです。

推し活をしている友人がいるということは、以前にも書いたことがあります。推し活している動機が分からず、いろいろ推測したのですが、結局のところ、これという明確な動機は見出せていないままです。もちろん、動機は複数あるのでしょうが、彼女もまた推し活という行為に対する依存症なのではないかと思うのです。彼女は最初韓流アイドルの推し活をしていました。そのアイドルを推すことを止めてから、推し活が収まるのかと思いきや、良く分からない着ぐるみの推し活をしています。彼女にとって、推しが好きというよりは、推し活が好きで、推し活をするために、推しを好きになっているのではないかと思えるのです。

つまり、彼女は推し活に夢中になり、それ以外のノイズに気を取られなくても済む状況を作り上げようとしているのではないかと思うのです。そして、依存によってノイズから逃れる方法を手に入れた人は、それを繰り返す傾向にあるとも感じます。というか、一度手に入れた依存という手段を手放せなくなるのです。ギャンブル依存であった友達が、仕事依存になったり、韓流アイドルの推し活に依存していた友達が、着ぐるみの推し活に依存したりです。依存する対象は変わっていても、依存することによってノイズから逃れようという方法は変わっていません。これは痛み止めによって、痛みを解消する方法を身に付けた者は、痛み止めを飲み続けようとするのと同じだと思われます。

それを、悪いことだとは思いません。痛いときは無理せず痛み止めを飲むべきだと思います。ただ、痛み止めを飲むことで、すべてが解決したと考えるのは良くないことだと思います。痛み止めは、その場しのぎなものです。痛みを根本的に解決するためには、痛みの原因を取り除かなければなりません。そうでなくては、痛みの原因は意識さないために悪化し、更に強力な痛み止めが必要になります。そして、より強い痛み止めを求め続けた結果、あらゆる依存症に破滅的な結果がもたらされることになるでしょう。それは、仕事依存の場合は過労死であったり、推し活の場合はホストに貢いで売春に走ったり、ギャンブルで人生を破滅させる人が多いのは言うまでもありません。

そして、依存によって、長い間痛みを解消し続けてきた人は、脳の構造自体が変化してしまうのだと思います。パチンコ中毒の男性と出会ったことがありますが、パチンコ以外のことは考えられなくなっていました。彼の頭の中には常にパチンコのことしかないのです。頭を爆破し、完全にノイズを追い出せた状態です。痛みの原因は、彼の人生を蝕んでいるのに、彼はパチンコをするためのお金を借りるために、「明日、倍にして返すから!」と必死になって懇願していました。そんな台詞を、ドラマの中以外の現実の世界で聞くことになるとは思ってもいませんでした。おそらく、もう少しマシな台詞を考えるだけの思考力を奪われているのだと思います。「こいつ、前頭葉が無くなってるな」って感じたものです。

そのノイズは何なのか? 消し去ることはできるのか?

それでは、そのノイズ、つまり痛みとは何なのか、そしてその解消方法は依存以外にあるのでしょうか。ギャンブル依存から仕事依存を経験している友人の場合は、学生の頃にイジメにあって自殺を考えたという過去を持っています。その時の記憶がトラウマになって、常に苦しみを生んでいるということは考えられます。しかし、推し活をし続ける友人にその様な問題は見受けられません。知る限りでは、家庭環境に問題もないように思います。しっかりとした内的世界観を持ち、その世界の中では多少孤独を持て余してあるように思えるぐらいです。確かに、ワクワクすることに依存しやすい体質であるようには思えます。

しかし、個人的な経験に対して答えを探す必要はないのかも知れません。何故なら、依存症はすべての人に起こり得ることで、些細な依存に関しては既に起こっていることだからです。そして、このすべての人に起こっているという部分が、答えを知る鍵になるのではないかとも思います。すべての人に共通する痛み、つまりノイズを見付ければ良いのです。そして、それが、耳鳴りのように始終鳴り続けている、ノイズの正体になります。

個人的ではない、人間全体に当てはまるような痛みなどあるのでしょうか。それは民族的トラウマを包含するような、個別の条件によって限定されない人類共通の痛みです。人間を構成する要素を剥ぎ取っていき、最後に残った条件と言えるかも知れません。そのような条件は『生きている』ないしは『存在している』ということしかないのないのではないかとすら思えます。つまり『生きている』、おそらくは『存在している』だけで、その反作用として、人は緩やかな痛みとしてのノイズを聞いているのではないかと思えるのです。『生きている』ことに対する反作用なら、生きようとしていないときは依存という鎮痛剤を使わなくてもそのノイズは消えるはずです。しかし、『存在している』ことに対するノイズであるなら、存在していない状態がない以上、依存症というノイズキャンセラーあるいは鎮痛剤を使わない限り、そのノイズを消すことはできません。物理学上、存在するものが完全に「無」になることはありません。

それでは、その『存在している』ことへの反作用と仮定したノイズへの解消法はあるのでしょうか? 僕はその解消法を知りません。僕もまた、悲しいかな小さな依存を繰り返し、日々を誤魔化しながら生きているのです。ただ、もしあなたに勇気があるなら、そのノイズの存在に気付いてみて下さい。そして、その微かな不愉快に、耳を澄ませてみて下さい。おそらく、それが始まりになるのです。

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