この記事は、『仏教という勘違い② 諸法無我』からの続きになります。先の記事では、諸行無常と一切皆苦が勘違いされている。それに続き、諸法無我という教えも間違っているのではないかということに関してお話ししてきました。ここからは、物質の世界、ある種の形而上学的世界も含め、どこにも存在しないと言われる『私』とは何かということを、ユング心理学の『セルフ』という概念を通して考えていきたいと思います。
セルフとは何か?
ユング心理学は大変難解な学問で、知識だけではどうともならないものだと思います。すべてを理解することは臨床を経験していない一般人には無理だと思いますが、ここでは一部だけを取り上げます。それが『セルフ』という概念です。セルフは自我を超えた自己の全体で、象徴として自己の中心です。つまり、ユング心理学において、セルフこそが『私』であり、自我は『私』の一部に過ぎません。
そして、自我は意識に現れた唯一の元型です。セルフという元型が、個別の出来事の記憶を身にまとったコンプレックスという虚像です。自我が存在しない幻だと言われても、何の反論もありません。そこには、完全な同意があるだけです。しかし、セルフもまた存在しないと言われればどうでしょう。そこには一定の抵抗があるはずです。何故なら、セルフこそが自我に私という実感、更に主体性を与えている本当の『私』だからです。そして、ユング心理学の立場からすれば、それを否定しない限り、私は存在しないという諸法無我の教えは成立しません。何しろ、セルフこそが、『私』の本質だと言えるからです。果たして、そのセルフの存在を否定することは可能なのでしょうか。
セルフに類似する概念
そもそも、セルフとは何なのでしょう。他に類似する概念は存在しないのでしょうか。おそらくユングは、東洋思想の真我やアートマンに影響を受けて、セルフの概念を構築したのだと思います。ここからは、真我とアートマンに関して同じものとして話を進めていきます。仏教では諸法無我なのですからアートマンを認めません。しかし、それは開祖であるお釈迦さまの言ったことなのでしょか。僕は、お釈迦さまがアートマンを否定したとは思っていません。このことに関しては、『私とは何か?』という記事でも書きましたが、後世の仏教という宗教によって、間違って解釈されたのだと思います。
宗教学者の中村元さんは、漢訳される際に『否我』を『無我』と誤訳したと仰っていましたし、宗教家の三木悟さんは、お経の中の我はアッタと記され、それはサンスクリット語でアートマンのことを指すと仰っていました。更に、お釈迦さまが「アートマンを探せ」と言っていた故事もあると仰っていました。ただ、経典の中では、真我としてのアートマンと自我が使い分けられておらず、『アナッタン=アートマンはない』という言葉を、真我としてアートマンがないと誤解してしまったことが原因だと仰っていました。そして、文脈から考えればアナッタンと否定しているアートマンは『自我』の方だけであると断言しておられました。
結局のところ、自我は否定できたとしても、アートマンないし真我を否定することはできていないのです。そして、アートマンや真我、セルフと呼ばれるものこそが『私』の核心なのです。例え、自我としての私を否定できたとしても、核心としての『私』そのものを否定できた訳ではありません。
「〜〜は私ではない」を繰り返す、ヴェーダーンタ哲学で用いられる「ネーティ・ネーティ」と同じです。それは本当の『私』を見付けるために、『私』に付随しているイメージを取り除いていくのと同じ行為です。化石を掘り出すために、その周囲に付いている石や土を取り除いていく作業と同じですね。中村元さんの言っていた「否我」の考えと同じです。
縁起の法という根元
それなのに、何故、諸法無我の教えは、真理を伝える教えとして、仏教ではそれほど根付いてしまっているのでしょうか。それには、より根元的な教えが影響しているのだと思いす。諸行無常や諸法無我と比較して、より仏教を象徴し、より根元的な教えはないものかと考えて思い浮かぶのが『縁起の法』です。この教えこそが仏教の根本になっているのだと僕は思います。何しろ、この教えはお釈迦さまが悟りを開いたときに観たビジョンそのものを元にしているのです。
縁起の法は、この世のすべての物事は、単独で存在するのではなく、様々な原因や条件(因縁)が互いに依存し合った結果として成り立っているという法則を指します。だからこそ、原因から結果への関係性があるだけで実体は存在しない、つまり世は諸行無常であり、諸法無我なのだと仏教は主張しているのです。そうだとするなら、この縁起の法を否定できれば、それを基礎としている諸行無常と、諸法無我という教えも根拠を失うことことになるだろうと思います。次の記事・『仏教という勘違い④ 縁起の法』では、縁起の法の勘違いに関して考えていきたいと思います。


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