ネパール=プリコラージュっぽい旅・ルンビニ〜ポカラ

旅行記

 ルンビニ近くのゴーダマ・ブッダ国際空港から、ポカラにあるポカラ国際空港に向かう。バスだと八時間と言われた道のりが、飛行機だと20分ぐらいのフライトで到着する。あっという間である。ちなみに、両方ともできたばかりの空港で、国際空港を名乗ってはいるが今のところ国際線は飛んでいないはず。どちらも、日本人の空港に抱くイメージからはかけ離れた小さな空港で、バスターミナルと言ったぐらいの規模。ただ、ポカラの空港の方は使っていなさそうな建物があったので、国際線が就航したらそちらの方を使うのかも知れない。

 ポカラ国際空港からレイクサイドといわれる地域に向かう。確かタクシーで1,000ルピーぐらいだったと思う。本当に出来たばかりの空港で、旅行ガイドなどには古いポカラ空港の情報のまま訂正されていなかったりするので困ったものである。ちなみに、ちなみにネパール語で湖を意味する『ポカリ』という言葉が、ポカラという町の名前の由来で、フェワ湖の湖畔に面し、さらにはヒマラヤ山脈を一望できる風光明媚なリゾート地になっています。

ポカラで行われる謎のフェスティバル

 ともかくポカラに着くと少なくなった現金を補うために両替を済ませ、昼食を取るために良さそうなレストランを探す。確かにポカラの街は、カトマンズともルンビニとも違っていた。アジアンチックな雑然とした雰囲気はあるもののお店や街の雰囲気もどこか上品で、日本ならさしずめ京都や軽井沢のよう。しかしながら、リゾートと言った柄でもなく、ネパール第二の都市で観光客に人気という理由だけでやってきた僕は、無目的に街を散策し続けるのです。

 歩きながら直ぐに気付いたことがありました。街角に楽団が出て楽器を演奏している。そして、その音楽に合わせて踊っている人々がいるのです。さらに、それは一箇所ではなく、複数の街角で同じような状況が展開している。『いったいこれは何なんだ?』と思う訳ですが、観光地であるポカラでは、観光客を楽しませるために常にどこかで催し物が開催されているのかも知れないとも思う。しかし、確かカトマンズでも同じように楽団が出ていて、『フェスティバルだ』って言われていたことを思い出す。ただ、その時は『ああ、お祭りなんだな』って思っただけで、何のお祭りなのかは聞かなかった。それに、それは三日前のことでずっと同じ祭が継続しているとも思えないし、ここは200キロ離れた別々の場所である。そんな長期間に渡って国中を巻き込む祭りなんて思い浮かばない。

靴磨きの男の残した謎の言葉

 しばらく歩いていると、街路樹の根元のベンチに靴磨きを発見する。僕は靴磨きが大好きで、靴磨きをしてもらうためにどんな暑い国でも革靴で旅行している。乾燥し舗装もされていない土埃だらけのネパールを歩いて、僕の靴は少々くたびれた状態になっていた。いくら靴を磨いてもらっても直ぐにまた埃だらけになることは分かり切っていたが、まあ楽しみの一つとして磨いてもらうことにする。

 靴磨きの男は幾つかの支持を出すと、僕の靴を磨き始める。残念なことに、靴を履いたまま磨いてもらうのではなく、靴を脱いから磨いてもうスタイルだった。靴磨きの様子を眺めている僕に、男は草臥れた様子で愚痴を言い始める。「今はこんなだから、靴磨きをする人が少なくて儲からないんだ」って言ってくる。「こんなだから? なんで?」街は人で溢れているのに、お客が少ないというのが理解できない。『こんなだから』とあたかも当然のこととして省略した部分が知りたかった。僕の質問に対して、男は「ニュー・イヤーだからね」と言った。その日は、年初ではなく月初でもない、ましてや四月の中旬で、土日でもない。僕は聞き間違えたのかと思い、さらに男のくたびれ加減に嫌気が差して、それ以上は聞き返さなかった。

 ポカラはフェワ湖に隣接する街である。湖畔の遊歩道を歩きながら、ボートの写真などを撮る。時間が経過するとともに明らかにそぞろ歩く人出が増えているし、遊歩道の至る所でバンドが生演奏をしている。いくら観光地とは言え、こんなサービスの良い街がある?と思う。時間の経過と共に、街中が熱気を帯びて盛り上がっていくのが分かる。公園の広場では、舞台が設置されマイクテストが行われていた。これから、更に街は更に盛り上がろうとしているのである。

謎の正体は判明する

 僕は靴磨きの男の言った、『ニュー・イヤーだからね』っていう言葉を思い出していた。僕の聞き間違いではなく、本当に新年なのではあるまいかと思い始めたのである。そうであるなら、この街をかき回すような大騒ぎにも納得がいく。世界的にみれば、別に一月一日が正月であると限らないことを、もちろん僕は知っている。旧暦の正月もあれば、仏暦の正月を祝う国もある。でも、どちらも違う気がする。旧暦の正月は二月だし、仏暦の正月も少し違う気がする。そもそも、この日の朝まではお釈迦様の生まれたルンビニに居たのである。もし仏暦の正月なら、ルンビニでももっと盛大に祝っていて良さそうなものである。

 ただ、無駄に考えていても仕方ないので、『まさか』という思いを引き摺りながらもスマホを使って検索してみる。スマホに表示される文字を追い掛ける僕の視線の中で、『まさか』という想いが拡大されていくのだ。『ネパールでは西暦とは別にビクラム暦という暦が採用されており、その暦によると新年は四月の半ばとされているが、年によってズレが生じるため、元日は毎年異なります』と書かれている。

『えー、今はちょうど四月の半ばなんだけど……』と思いながら、僕は信じられない気持ちを引きずる。計画して来た訳でもないし、予想すらまったくしていなかった。つまり、そうだとすれば、それは明らかに予想以上の幸運なのだ。ただ、元日は毎年変わる。正確に日にちを特定しておかなければならない。一瞬でも手に入れたかも知れない幸運を手放したくなかったが、異国の地でぬか喜びに踊らされるのは愚か過ぎる。はやる気持ちと、恐れる気持ちを抑えつつ、僕は今年の西暦を付け加えて検索し直す。

 スマホの画面を眺めながら『明日が元日。つまり今日は大晦日……』と、僕は自分の幸運を確認していた。無意味の中に、意味が浮かび上がってくるようだった。僕は今、偶然にもネパールの大晦日と向き合っているのだ。旅という掛け替えのない瞬間に、大晦日という掛け替えのない瞬間が煌めいていた。

クライマックスを越えて

 それからもポカラの街を包む熱気は、時間の経過と共に増していく。街中の人が繰り出しているのかと思える人混みと、街の至る所で行われる催し物、日が暮れてからの熱気は熱狂に変わっていった。それらは、明らかなクライマックスに向かって躊躇なく突き進んでいるように思えた。街のどこに視線を向けても、そこには特別しか存在しない。僕は大晦日の人混みを眺め、大晦日の食事をし、大晦日のコーヒーを飲み、大晦日の湖畔を散策する。人混みの作り出す熱気を感じ、音楽を聴き、踊りを眺め、その一瞬一瞬を心に刻んでいく。

 大晦日を十分堪能したと感じた僕は、ホテルに戻ってベッドに横になると、眠りにつこうと一日を手放す。しかし、僕が手放したはずの一日は、僕を手放してはくれなかった。

 僕の泊まっていた部屋にエアコンはなく、開けておいた窓からは外の賑わいが入り込んでくる。それはコンサートの音楽だった。そう言えば、僕が街中を散策していた時にも、近くの公園の広場でコンサートの準備が行われていたことを思い出す。『あのコンサートは始まっていたんだな』と、ぼんやり考えながら窓から聞こえてくる音楽に耳を傾け続ける。音楽はどんどん盛り上がっていき、観声はもはや悲鳴のように聞こえた。

 そして、『クライマックスはまだ訪れていなかったんだ』って思った。そのコンサートはおそらく年越しを迎えるカウントダウン・コンサートで、僕はその真っ只中に居た。時計を見ると、クライマックスはもう直ぐそこに近付いていた。音楽が最高潮を迎えたとき、クライマックスを突き破るように花火が打ち上げられる。建物が震え、怯えた野犬が遠吠えを上げていた。もう一度時計を見詰めると、一つの年が過去になり、新しい年が訪れたのを目撃する。控えめに言っても『最高だな』って、僕は思った。

ポカラからカトマンズへ

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