『君たちはどう生きるか』を、どう読むか 7

精神世界

※この記事は物語の時系列に沿って進んでいきます。まだ読んでない方はこちらからお読み下さい。

 時の回廊へ向かえという、大叔父の言葉に従い、崩壊する世界の中を、登場人物達は進みます。時の回廊とは、回廊に沿って幾つもの扉が並び、その扉から出るとそれぞれの時間に戻れる場所です。物語の主要な登場人物が、再びその場所で一堂に会します。別れを済ますと、登場人物達はそれそれの現在へ戻っていきます。見事なクライマックスの演出だと思いました。

 この時、眞人達の開ける扉に書かれている数字は132番で、直ぐ近くの扉に書かれている数字は677番でした。深読みするなら、素数である677番の扉を出た世界は、真理に導かれる世界。割り切れてしまう132番の扉を出た世界は、自らの分別、判断により生きていかなければならない世界、大叔父が言った、殺し合い、奪い合う世界。じきに火の海になる世界です。ただ、眞人はその事実に臆することはありません。自らの意志で扉を開けて、その世界に踏み出していきます。

 眞人たちが脱出を終えると、石の塔自体が崩壊します。その時一緒に飛び出したインコはただのセキセイインコに変わり、ペリカンはただのペリカンに変わります。夏子は下の世界での記憶を失い。眞人もしばらくすれば記憶をなくすであろうことを、サギ男から伝えられます。眞人に『あばよ。友達』という言葉を残すと、サギ男は自ら青サギに姿を変え飛び立っていきます。ここで注意したいのは、すべての登場人物の中で、青サギ・サギ男だけが特別であるということです。ここまでで、二度青サギがなぜそれ程特別で超越的存在なのかを、後でもう一度説明するとお伝えしました。ここで青サギがなぜそれ程特別なのかを考察したいと思います。

青サギ・サギ男、素数に関する考察

 それは、やはり『風切りの七番』なのです。サギ男は眞人に対して、『風切りの七番』が自分の弱点であることを伝えました。弱点は、その者にとって同時に最も大切な物を指す場合があります。この場合も、おそらくはそうです。『風切りの七番』こそ、青サギを象徴するものです。そして、当然そこに刻まれた数字に注目するべきでしょう。それは数字の7で、7は素数です。この物語の中で、素数が何を示しているかは、既に説明しています素数は二つに割ることができず、約することもできません。一かそれ自身でしか有り得ない数字で、数の原子です。一という数字は石ないしは真理を示し、素数は真理が世界に影響する力のような物だと考えてください。そうだとするなら、7という素数に象徴される、青サギは直接的に石の力を受けている者であり、だからこそ特別で超越的な存在なのです。確かに、どうりでペリカンが眞人を食べれなかった訳です。

現実への帰還、素数の扉の考察

 サギ男と眞人の別れのシーンですが、このシーンだけ背景が現実の風景ではなく、色だけで表現される心象イメージで描かれています。眞人達は現実の世界に戻って来ているはずです。それならただ現実の背景を描けば良いはずです。

 映画の中で、石の塔の中が不思議なことの起こる異世界で、塔の外側が現実の世界です。ただ、時間の経過というか、不思議なことの起こる時空の移動という意味では、その位置関係の外側に更に別の境界があり、ある意味二重構造になっています。その不思議な次元への移動が起こったのが、眞人が自ら頭を石で傷付け、大量の血を流したときです。眞人の頭部からあり得ないほど大量に流れる血液は、時空を越えるために捧げられたか、次元の移動を示す目印のようにも思えます。

 血液を流した後、不思議なことは現実の世界でも視覚的に起こり始めます。塔から持ち帰った青サギの羽根は塔の外に持ち出した途端消えていたのに、血液を流した後では『風切りの7番』を手に入れます。現実の世界でも、青サギが鳥の姿から、サギ男との中間的な姿に変化し始めたり、噛み砕かれたと思った木刀がステッキ立ての中に入っていて、何もしていないのに再びそれが砕けたりです。

 そして、『あばよ。友達』というサギ男との別れの後、不思議なことの起こる時空は閉じます。大叔父の世界は崩壊しましたが、不思議なことの起こる時空は失われてはいません。塔の崩壊後もサギ男が存在できていたことが、それを表しています。その時空は、ただ閉じたのです。そして、眞人は現実の世界への帰還を完全に果たします。その世界は、大叔父が言ったように殺し合い、奪い合う世界。じきに火の海になる世界です。しかし、その世界の中でも、眞人は自らの意思で強く生きていくことだろうと思います。

 石の塔の中、つまり下の世界で起こった出来事を、眞人は忘れてしまうことでしょう。ただ、物語の最後のシーンで、眞人がポケットから何かを取り出し、ランドセルの中に入れるシーンがあります。おそらく、それは持ち帰った石の積み木です。たとえ記憶をなくしても、あの世界は眞人の意識もできない心の奥底にきっと刻み込まれているのです。空想の翼を広げることが許されるなら、眞人は大叔父から言われたように、3年に1つずつ、13個の積み木を積んだのかも知れません。

 時の回廊は、過去や現在が同一平面状に存在している場所です。677の素数の扉は、3年に一つずつ、13個の積み木を積み上げた後の、未来の世界に繋がっていたのかも知れません。その眞人が築き上げた未来が、大叔父が望んだように『より穏やかな世界』であることを願います。

考察に関する感想

 ここまで読み進めいただいた方に、まず感謝をお伝えします。ありがとうございました。

 結構断定的な書き方をした部分もありますが、実のところ自分の考察がすべて正しいとは思っていません。多くの部分で間違っているのではないかとも思っています。ただ、それで良いのです。いや、それだから良いのだと思っています。正解することに意味があるのではなく、考察することに意味があるのだと思います。それが、よりこの映画の世界を楽しみ、宮﨑駿監督の伝えようとした意味を汲み取ることに繋がるからです。

 正解などない方が良いとさえ思っています。この映画自体が、宮﨑駿監督が僕たちに掛けた魔法だと感じているからです。種明かしされた手品は、その魔力と魅力を失います。永遠に解けない魔法を、僕達に掛けてくれた、白髪の素敵な魔法使いのおじい様に感謝を捧げます。ありがとう。

お終

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