『君たちはどう生きるか』を、どう読むか 5

精神世界

※この記事は物語の時系列に沿って進んでいきます。まだ読んでない方はこちらからお読み下さい。

 中盤のクライマックスである産屋のシーンの後、物語りは後半に向かって勢いを増します。産屋から弾き出された眞人とヒミはそのまま意識を失い、インコに捕まってしまいます。ここで、少しだけインコとは何かということについて考えてみたいと思います。

インコに関する考察

 インコは少し間の抜けた愛すべき存在ではありますが、眞人たちの冒険の邪魔をする厄介な存在でもあります。石の塔の中で増え過ぎたインコはいつもお腹をすかし、眞人をシチューにして食べてしまおうと画策します。彼らの動機は単純で、あまり自分で考えて行動することはせず、その為か常に集団で行動します。眞人をシチューにすること以外は、常にインコ大王の指示に従っています。

 インコは群衆心理、つまり我々が集団で行動するときの愚かさを皮肉った隠喩ではないかと思います。社会集団に属するために、自分らしさを捨て社会を存続させるためだけに奉仕する。そして、捨て去った自分らしさの穴を、強いリーダーの指導力で埋め合わせる。盲目的な全体主義的愚かさを象徴しているようにも思います。

積み木の塔の夢に関する考察 

 インコに捕まった眞人は、積み木の塔の夢を見てから目覚め、サギ男の手助けによって別々に捕まっているヒミの救出に向かいます。その時に見る夢が積み木の塔の夢です。この積み木の塔は、後半に登場する最も重要で、最も理解することが困難なアイテムです。大叔父と対面する草原のシーンの予告のような感じで唐突に差し込まれます。この夢のシーンがあることで、この物語の中で最も難解な、後の草原のシーンを受け入れやすくなることは確かです。

 夢の中で、眞人は「その積み木は石です。墓と同じ石でできています。悪意があります」と言います。それは、眞人を目覚めさせ窮地から脱出させるきっかけになる言葉です。おそらくその言葉が真実だから眞人は目覚められたのだと思います。眞人の言葉には、ここまで僕が考察し定義したことが二つ含まれています。『墓』と『悪意』です。

 墓は、過去の権威的な宗教的預言者、ないしはその者の残した教えと仮定しました。そして、悪意は、生きることの二面性、言い換えれば二元性であり、それがしょうがなく持つ片方の面と定義しました。この二つが、積み木と同じものとなり得るのでしょうか。

 墓の主を過去の宗教的指導者でありその者の残した教えとするなら、それが人々に受け入れられるとき、やはり二面性を持ちます。ある宗教はある者にとっての善であり、別のある者にとっては悪です。キリスト教はそれを信仰する者にとっては善ですが、それを信仰しない者からすれば悪になることがあります。そしてその教えを残した者は自らの意思によってそれを伝えたのです。それは、眞人としては悪意と呼べるのではないでしょうか。悪意と墓は確かに同じものと言えそうです。

 この下の世界で、宗教的指導者は大叔父と言えるかも知れません。大叔父は真理に囚われ、それに仕える者です。ただし、大叔父は過去ではありません。過去に大叔父と同じ役割の者が居たのかも知れません。後半で、大叔父の元にヒミと眞人が向かう途中で、沢山の積み木が落ちています。それは、過去に大叔父と同じ役割を担った者、つまり、墓の主が積んだ積み木だったのかも知れません。

6に続く

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