こころ

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ぼくは 自転車

ぼくは、自転車。ずいぶん前に、おじさんにもらわれ、それからずっとおじさんと暮らしている。おじさんの生活はたんじゅんで、市からもらったせいそうの仕事をして、アパートで一人ぐらしをしている。部屋のドアの前には、いつもぼくがいて出番を待ちかまえて...
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何のために人は宗教を信仰するのかという疑問への弁明

この間、友人と新興宗教の建物を見学に行ったとき、「何を目的に、人は宗教を信仰するのだろう」という話になりました。僕は、「自己の永遠性を求めて信仰をする」と答え、友人は「現実の生活における利益を求めて信仰する」と答えました。僕に言わせれば『そ...
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何をもって、私は存在を証明するのか?

この記事は、『私とは何か?』からの続きになります。よろしければ、そちらも併せてお読み下さい。不十分な何か前回の記事で、『虚無の混沌から、存在を成り立たせる必然が私であると言える』と締め括りました。カッコ良さに全振りしたような表現ですが、間違...
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『私』とは何か?

この記事は、一つ前の記事『哲学的ゾンビ と クオリア』の関連記事になります。あくまでも関連記事であり、続きという訳ではないのですが、よろしければそちらの方も読んでやって下さい。 注・写真と本文は全く関係ありません。まあ、箸休めです。肯定のた...
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哲学的ゾンビ と クオリア

哲学的ゾンビという思考実験を、あなたは知っているでしょうか。哲学的ゾンビネットで調べると、哲学的ゾンビとは、外見や行動は普通の人間とまったく同じだが意識にのぼってくる感覚、意識やそれにともなう経験(クオリア)を全く持っていない存在を指す思考...
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言葉の向こうの大切なもの

不立文字と仏典結集仏教、特に禅には不立文字という思想があります。悟りの道は、文字・言語によっては伝えられるものではないという意味です。言葉によって伝えることができないのですから、禅の教えは禅問答であったり、念仏も唱えずただひたすら座り続ける...
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ノンデュアリティ・自我からの逃避

YouTubeを観ていると、一度観た動画の関連動画がお勧めに出てくる。そのお勧め動画を観ると、さらに関連動画がお勧めされる。そういう訳で、今や、僕はノンデュアリティの結構なエキスパートなのです。※今回は否定的な内容なので、写真は綺麗なお花に...
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高野山と 弥勒信仰

以前、高野山の信仰には、一神教的側面があると書きました。今回は、その一神教的要素である弥勒信仰に関して観ていきたいと思います。弥勒信仰と浄土高野山真言宗の救済といえば、即身成仏です。大乗仏教では、悟りを開き仏になるためには三劫という期間修行...
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愛される資格

あなたは、誰かから愛されたいと思ったとこはないでしょうか。しかし、鏡と向き合い、自分には愛されるだけの資格がないと、落ち込んだことはないでしょうか。こんな顔じゃ駄目だ。こんなスタイルじゃ駄目だ。こんな学歴じゃ駄目だ。こんな性格じゃ駄目だと、...
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1匹の猿より、このブログを読んでくれたあなたに

『5匹の猿の実験』というのをご存知でしょうか。形骸化したルールが、どうやって出来ていくかを伝える寓話なのですが、今回はこのお話から始まります。5匹の猿の実験 5匹の猿の実験と言われてはいますが、どうやら実際に行われた実験ではなく、実験の体裁...