自分を巡る物語り

精神世界

龍の前世を持つ人々から思うこと

 前世が龍の人々と会って、人間には現実の生活とは違う世界線での自分が必要なのではないかという提案をしました。もう少しその話を掘り下げてみたいと思います。まだお読み出ない方は、ぜひ龍族の者に告ぐをお読み下さい。

 つまり、人間にとって現実の生活だけでは、意味として不十分なのではないのかということです。断片的な事実の羅列に意味を与えてくれるのは、実はストーリーなのではないのかという考えです。そのようなストーリーがあって、人間は自分を取り巻く現象を内面に取り込み、実感として人生を充実させることができるようになるのではないかという考えです。

 ただ、ストーリーと言っても、その影響は多岐にわたります。一言で言うなら、自分を巡る物語のことです。

 一般的な物語に対する認識からは少しずれているように思われるかも知れないですが、例えば終身雇用に人生の安心を委ねている公務員の方もそうです。僕からすれば、終身雇用っていうストーリーの中に生きているのです。自分は学生であるでも良いし、子供を育てる母であるということでも良いです。その世界観に自分を委ねることができれば、それは既に僕の思うストーリーであるとも言えます。

 ただ、自分を委ねるともなれば、それはより普遍的で本質的であるに越したことはありません。個人を超えた全体性を持つからこそ、そのストーリーは世界と呼ぶことができるのだと思います。そして、それが世界だからこそ、僕達がもう一つの世界での、もう一つの自分を持つことができるのだと思います。

 それは、戦士症候群の人達が必死に追い求めたように、誰にとっても切実に必要なものなのです。

もう一つの世界での生活

 そのストーリーが世界を構築するからこそ、僕達がもう一つの世界での、もう一つの自分を持つことができるのだと思います。その世界で僕達は常に主人公で、だからこそこの現実の世界でも、自分の人生として主人公で生きていけるのではないのでしょうか。

 つまり、そのストーリーによる世界は、この現実の世界の裏側にあり、この現実の世界と同じ広さを持っているのだと感じます。無数にあるストーリーの中で、最も根源的な物語はやはり神話なのだと思います。日常生活の中に溢れるストーリーとも呼べないような物語りの断片から、その世界観の中に没入する体験のできるファンタジー映画まで、それらの根本には神話の世界があるのだと思います。違う言い方をすると、神話の世界が納められている、人間の精神の中の深淵な世界です。

 では、その神話の世界は、いつ、どこから始まったのでしょう。おそらく、それは人間が言葉を持つ前から始まっていたのだと思います。もしかしたら人間に進化する以前の動物だった頃から降り積もった精神のエネルギーのようなもなのではないかと思います。

 心理学者のカール・グスタフ・ユングは、『集合的無意識』という概念を提唱しました。おそらくはそう言ったものなのでしょう。集合的無意識の世界は、言葉ではなく、散りばめられた元型的イメージないしはイデアによって律せられています。人類が言葉を発見する前から、その世界はあり続けたのだと思います。

 そして、人類が言葉を発見した後、その世界はより具体化された。神々は名前を持ち、そして語り継がれるようになった。石器時代の頃、人々は物語を語り伝え、現実の生活を暮らすのと同時に、その世界でも暮らし始めたのだと思うのです。

紡がれ続ける物語り

 ただ、人類は科学を発展させ、その発見された事実によって、人々の暮らす神話の世界は徐々に否定されていきました。空の彼方に天国は存在せず、地球は平らではありませんでした。事実であるとされていたことの否定は、神話の世界からの裏切りだと、人々には映ったのかも知れません。表面的な事実が否定されるのと同時に、本質的な真理すら疑いの向こうに遠去けられるようになりました。神は死んだと言う者すら現れます。

 僕たちは、科学の発展により多くの利益を得ましたが、同時に最も本質的なストーリーから切り離されてしまったのかも知れません。自分を巡るストーリーは失われ、人生の主人公である実感は失われつつあります。過去に戻れと言いたいのではありません。しかし、どんな形であれ、満天の星空の下で焚き火を見詰めながら語り継がれたであろう世界と、繋がり続けるべきなのだと思います。

 繰り返しになりますが、その世界は思い込みという安心かも知れないし、龍であった前世の妄想かも知れない。例えば、テレビに映し出される世界を観るとき、その世界をテレビの画面に投影しているのかも知れない。確かに、テレビの画面は異世界の扉のようで、そこに登場してくる人々はあたかも神話に登場する神々のように振る舞います。もしかして、いつの日か神話を破壊した科学が、神話を語り始めるかも知れません。

 それがどのような現れであったとしても、その世界はこの現実の世界に寄り添うように存在し、僕たちはその世界でも同時に人生を送っているのです。現実の世界が、無意味な事実の断片になってしまわないのは、その世界のお陰なのです。良ければ、そして出来るなら、その世界が紡ぎ出す無数の物語に、ほんの少し耳を傾けてみて下さい。

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