アセンションという馬鹿騒ぎ、もしくは喜劇

スピリチュアル
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 僕にはスピリチュアル好きの友達が多い。そして僕自身はというと、スピリチュアルに対して若干冷ややかな態度を取ることが多い。つまり、僕がスピリチュアルを語るときは、若干批判的な場合が多いということを断っておきます。

スピリチュアルとは何なのか

 みんな分かっていることだと思うけど、現代のスピリチュアルには、占いや、霊的なこと、超能力的なこと、宗教や、悟りなどの意識の変革、神秘的なことが一切合切含まれまています。僕が魅力を感じているのは、宗教や悟りに関してなのですが、それらにしても詐欺まがいの怪しげなものが多くあります。そして、それがスピリチュアルに対して、僕が批判的になる理由であり、せめて出来の悪い喜劇として笑い飛ばしてやりたくなる理由でもあります。

 ある意味、僕はスピリチュアル界隈における傍観者なのだろうと思うのですが、そうやって眺めていると、スピリチュアルの世界にも流行り廃り、つまりブームのようなものあるのが分かってきます。大小合わせると数え切れないほどのブームが起こっては消えていきます。以前にもお話しした『龍の前世』や『非二元』も、そういったブームの中の一つです。それ以前には、『アセンション』というものもありました。

 アセンションとは次元上昇のことで、スピリチュアル業界では、誰もが知っている初歩的な言葉です。しかしながら、一般の方からすると、アセンションも次元上昇も訳が分からないと思うので、一応簡単に説明をしておきます。

 アセンションとは次元上昇のことで、次元上昇とは霊的な次元が、現在より一つ上に上がることを言います。つまり、人間の魂が、それまでより高次な存在になることを示しているのです。それは魂の進化のようなもので、最終的に人間は物質ではなくなり、純粋なエネルギー体になるとも言われていました。

 それからスピリチュアルには、アセンションにおける魂の上昇のように、単なるオカルトとは違って何処か意識改革的な要素が含まれることが多いです。これはスピリチュアルの成り立ちに関係していると思われます。

 現在のスピリチュアルっていう活動は、ニュー・エイジ運動の発展形です。ニュー・エイジ運動は1960年代から70年代に掛けて、既存の社会に対するカウンターカルチャーとしてアメリカを発端として発展していきました。同時代にあったヒッピームーブメントと親和性も高く、ヒッピームーブメントがユートピアを目指したのと同じように、ニュー・エイジ運動は西洋占星術に於ける新時代への移行を到達点としました。

 つまり、ニュー・エイジ運動、そしてその思想の根底には、現実社会に対する反抗的変革への熱望が含まれ、そこから移行したスピリチュアルにも変革への意思が含まれているということなのです。日本では、摩訶不思議の福袋のように扱われているスピリチュアルは、その根底に意識改革、霊的進化を含み、系統的にはそちらの方が本質と言って良いのだと思います。ある意味、アセンションによって世界が次元上昇するという発想が現れるのは、スピリチュアルにとって必然だったのだと思います。

アセンションという馬鹿騒ぎ

 2012年頃に興味深い出来事が起こりました。2012年の12月21日に、人類が絶滅するという噂が世界中に広まったのです。その噂は、マヤ暦のカレンダーが、その日を最後に終わっているからということを根拠にしていました。まあ、ノストラダムスの大予言に代表されるような、いわゆる人類終末論の一つです。海外ではノストラダムスの大予言よりもこちら方が話題になったようで、オーストラリアの首相がそのことをネタにしてからかう公式動画を上げたり、アメリカ政府が人類は絶滅しないことを公式発表したりもしました。つまり、政府機関が冗談を装ってでも、注意喚起しなければならない程の状況だったのです。

 ただ、日本ではノストラダムスの大予言で人類滅亡を騒ぎ過ぎたせいか、終末論としてはあまり話題にならず、代わりにアセンションが起こるのだという説がスピリチュアル界隈を中心に広まっていったのです。

 当時、僕が注目していたスピリチュアリストの方が、マヤ暦によるアセンションに関する情報をブログで頻繁に発信するようになったのも、丁度その頃のことでした。おそらく前々から付き合いのあった海外のスピリチュアリストの影響だったと思います。

 その方の熱意は、アセンションの予告された2012年の12月21日に向かって、どんどん増していきました。その方だけではなく、情報を受け取っていたブログの読者の方も同時に熱を帯びていったのです。アセンションの大波に乗り遅れてはいけないと、みんなが後先構わず飛び付いているような感覚でした。発信者のスピリチュアリストの方と、その方の信奉者、それを取り巻く物見遊山な人々までを巻き込んで、熱狂とまで言えるような状況が続きました。

 僕自身は野次馬的立ち位置で成り行きを見守っていたのですが、それでも随分楽しませてもらいました。奈良県にある天河神社に大勢の人を集めて、アセンションを迎えるにあたってのお祭りを開催したりもしていました。僕も参加しましたが、参加者に対して無料の食事(無料大好き!)が振る舞われたり、餅まきがあったり、そのスピリチュアリストや前途した海外のスピリチュアリストによるセッションのようなものがあったり、随分盛り上がっていました。参加している人達も良い人ばかりで、お祭り自体も楽しめたのですが、そのスピリチュアリストの方には若干の疑念を抱かざるを得なくもなりました。

 アセンションは2012年の12月21日に、確かに起こる。アセンションが起これば、次元上昇した人間は物質的な体を失い、純粋なエネルギー体になる。ただしそれは段階的に起こり、完全なエネルギー体になるのは1000年後のことだと言い出したのです。どうやら大元の発信者である海外のスピリチュアリストからそう告げられたのだそうですが、良い大人がなんの責任も取れない1000年後の約束をするか?と、呆れたのを覚えています。もともとアセンションを信じていない僕からすれば、ペテンの手口にしか思えませんでした。

馬鹿騒ぎに終焉は訪れるのか

 その後も、そのスピリチュアリストを中心にしたスピリチュアル業界は盛り上がり続け、12月21日を迎えました。その日、インターネットの片隅、おもにSNSの世界、アセンションを真に受けた人々の間で、多くの別れの言葉が交わされました。それは次の次元への期待と不安、今生の別れの寂しさに引き裂かれてしまいそうな、とても真剣で切実な叫びでした。彼らの熱狂は、確かに沸騰したのです。

 その別れの言葉を交わした彼らは、次の日の朝目を覚まし一体何を思ったのでしょうか。自分はアセンションして、次の次元に居るはずなのに目覚めた部屋は何も変わっていないのです。そして、それを見ている自分も今まで通りの自分です。残酷にも、アセンションなんてものはもちろん起こりませんでした。

 アセンションが起こると信じていた人々が、その後どうしたのかは知りません。恐らく、自分が集団的な妄想に巻き込まれていたことを受け入れるか忘れるかして、なんとか折り合いを付けて現実の世界に戻って来たのだと思います。ただ、少数ではありますが、戻れなかった人々もいるようでした。しかし、アセンションという妄想の中に取り残されてしまったのか、それともアセンションは商売の道具と割り切ってペテン師に成り下がったのか、そのスピリチュアリストとその周辺のコアな人々は、アセンションは確かに起こり、自分達はアセンション後の次元上昇した世界に生きていると考えたようです。

 自分達が集団的な妄想に引っ掛かり、多数を巻き込んだ馬鹿騒ぎをしてしまったことを、今さら認められなかったのだと思います。彼らは、実体のないスピリチュアルを生業にしていますから、権威を失うことは信頼をなくし職を失うことに直結します。そうなるよりは、ペテン師として生きた方がマシだと考えたのだろうと思います。僕はそうであって欲しいとさえ思っています。彼らが本当にあの時アセンションが起こったと今も信じているのだとすれば、それは余りにも哀れだからです。

 つまり、人生は悲劇であるより、喜劇であった方が、多少出来が悪いとしても少しは救われるものだからです。

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