例えば、AIが犯罪を犯したらどうでしょうか。映画などでは良くある設定で、今となっては少々食傷気味かも知れませんが、そのAIは果たして罪に問われるのでしょうか。
そこに風は吹かない
例えば、AIを搭載したロボットが人を殺したとします。そのロボットは裁判を受け、罪を償うために牢屋に入れられるのでしょうか。おそらくそんなことはないはずです。もしかすると廃棄され壊されてしまうかも知れませんが、それは罪を償うためではありません。単なる不良品の回収と処分が目的です。罰せられるべき者が居るとすれば、AIに人を殺すように命じた人間の方です。
それでは、人間が命令を出していないにも関わらず、AIが殺人を犯した場合はどうでしょうか。「地球環境を良くする方法を考え、行動しろ」という指示を出されて、AIが「地球環境に害を及ぼしているのは人類である。排除する」って感じで、無差別殺人を行うのです。これも映画にありそうなシュチュエーションですが、この場合、人間の判断は殺人に関与していません。しかし、この場合も、ロボットは廃棄され、AIのプログラムが修正されるだけです。
つまり、AIは罪を犯しても罰せられることはないのです。殺人が罰せられないということは、その他の罪も同様です。それでは何故、AIは罰せられないのでしょうか。「機械なんだから、そんなの当たり前!」って思う人も多いのではないかと思います。もちろん、そうなのですが、AIの場合は少しばかり事情は違います。AIはある程度自律的に思考し、その思考が生み出した結果に従い行動します。機械ではありますが、他者と区別が可能な肉体も持っています。
それなのに、何故、AIは罰せられないのでしょうか。罰せられないAIと、罰せられる人間との間にはどのような違いがあるのでしょうか。それは罰を与えるべき、主体性が在るか無いかの差です。主体性とは何かということを簡単に言うと、『私』であるということです。罪を犯した主体がない以上、罪が存在したとしても罰することができないのですし、そもそも罪自体が存在していません。罪を認識する主体がないということは、誰も知らない宇宙の果てで、風が吹いたようなものです。その風は、おそらく一度も吹いていないのです。
罪と私
主体性がないと罪に問えないということに付いて、もう少し考えていきたいと思います。ようは、そこに罪を問うべき対象が存在していないと見做されるのです。ただ、主体があっても罪に問えない場合もあります。例えば、熊が人間を襲って食べちゃったようなときです。その熊は場合によっては殺害されるかも知れません。しかし、その場合も罰っせられ死刑になった訳ではありません。人間を食べることに慣れた熊が再び人間を襲わないようにするためか、人間の心に芽生えたヒステリックな恐怖心を鎮めるためです。熊が罰せられないのは、主体がない訳ではなく、主体としての私が罪という概念を理解するほどには発達していないからです。
そういえば、ノンデュアリティーの人が、「人間は何をやっても良いのー。だって私は存在してないんだから〜」と言っていたことを思い出します。確かに、罪を犯す主体が存在しないのなら、罰を受けることはおろか、罪が発生することすらありません。もちろん、彼らが、熊さんがそうであるように、罪という概念を理解するだけの知性がないことも否定はできません。おそらくは、そちらの方に濃厚な可能性を感じます。
原罪
僕は、例え主体性としの私があっても、罪を認識する知性がなければ、罪の発生することもないと書きました。罪というものがない状態があるなら、初めての罪は何であったかのかという疑問が生まれます。厳密にその時期を特定することはできないと思います。ユヴァル・ノア・ハラリが、サピエンス全史の中で触れた、約7万年前から3万年前にかけて起こった認知革命の頃だろうとは思います。その頃に、人は罪という抽象概念を獲得し、認識することとなったのです。
もう少し具体的に理解するために、神話という架空の世界を訪れましょう。それは、アダムとイブの物語です。創世記と呼ばれるその神話の中で、アダムとイブは禁じられていた知恵の樹の実を食べてしまいます。これがユダヤ・キリスト教神話の世界で初めて行われた罪です。そして、これが原罪といわれ、それ以降の人類に晴れることのない曇り空のようにのし掛かっていくのです。たかだか、リンゴを食べただけで酷い話だと思うのです。そんなのただの摘み食いじゃないかと文句の一つも言いたくなるところではあります。
ただ、彼らは知恵の樹の実を食べたことによって、認識する主体としての私に加え、罪という虚構を信じ認識する知性さえ手に入れました。それは主体としての私を中心に集まった、虚構の集合体としての自我を手に入れたことといえるのではないでしょうか。原罪とは自我を持ってしまったことを指すのではないのかとさえ思えるのです。つまり、私ということが、即ち罪なのかも知れないと思うのです。

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