高野山の魅力

旅行記

 仏教に関して批判めいたことを書いていますが、僕は真言宗の総本山である高野山に半年に一度ぐらいは行っています。ちなみに、僕は仏教にも他のあらゆる宗教にしても、一切の信仰を持っていません。それでは何故そんなに高野山に通うのか、それは高野山にそれだけの魅力があるからなんです。今回は高野山の魅力について語っていきたいと思います。

魅力・その壱 コスモポリタン都市

 高野山は和歌山県の伊都郡高野町高野山にあります。都市って、頑張っても町じゃないかって仰る方もいらっしゃるとは思います。まったくもってその通りです。少しばかり盛りました。

 しかしながら、高野山には世界中から、多くの観光客が集まってきます。観光客とは書いていますが、多くの人は観光をするにしても日本の文化伝統、仏教の教えを学びたいと思って来ている訳です。ただ、遊びに来ているだけではないのです。そして、その人々の人種、国籍も様々です。例えば、外国人の多く暮らす地域は沢山ありますが、特定の人種や国籍に偏る傾向があります。

 高野山は世界中から様々な人々が集まります。そして、訪れる人々は日々入れ替わっていきます。その様子はコスモポリタン都市を見るようです。

 もともと高野山は紀州藩の中にありながら、高野山寺領という高野山が管理する独立した地域だったのです。廃藩置県によって紀州藩が和歌山県になり、高野山寺領が和歌山県の一部になったのは明治二年のことです。高野山山麓にある九度山町に住まわれる方と話したとき、「ここはもともと和歌山と違うから」とおっしゃっていました。やはり、高野山は高野山なのです。

 何が言いたいかというと、高野山は高野山というアイデンティティーを持っていて、それは世界中に広がる仏教コミュニティーの一角であるということです。つまり、高野山の人々は、そのアイデンティティーにおいて、日本の行政とは一線を画し、昔からある意味コスモポリタンだったのだと思います。

 そんな高野山と、海外から訪れる人々の文化が混ざり合い、濃厚な日本の仏教文化の上に、ほんの少し無国籍で捉えどころのない、魅力的でコスモポリタンな世界感が生まれようとしているようにも思えるのです。

魅力・その弐 料理

 高野山を訪れる人の多くは、宿坊に泊まることになると思います。高野山は総本山金剛峯寺という一つのお寺で、宿坊というのは子院にあたります。まあ、金剛峯寺の宿泊部門のような感じでしょうか。ちなみに、子院の呼び名は〇〇寺ではなく、〇〇院です。

 まあ、通常の意味でのお寺ではないので当然ですが、看板を英語で書いている宿坊もあります。『〇〇院』ではなく『〇〇-in』です。『Holiday Inn』とかの宿屋を指す英語の『Inn』かと思って二度見しました。宿坊も来るとこまで来たかと思ったものです。

 ここまでは、全くの余談なのですが、宿坊に泊まる楽しみの一つに精進料理があります。ただ、最近は高野山も交通の便が良くなったので、宿坊に留まらず日帰りする人も多いかと思います(大阪からなら南海電鉄を使って余裕で日帰りができます}。

 そんな方に朗報なのですが、高野山は宿坊でなくても精進料理が食べれて、総じて美味しいです。良いお店は沢山ありますが、お勧めのお店を載せておきます。

 金剛峯寺の近くにある、中央食堂 さんぼうです。何を食べても美味しいですし、少し割高な高野山の中では、かなりお手頃な価格になります。食堂を名乗るだけあって、だいたいが定食形式で気軽に食べることができます。写真は、胡麻豆腐湯葉巻揚げで、お値段は言うても1,500円。

 もう一軒のお勧めは、角濱ごまとうふ総本舗飲食部です。ここは、胡麻豆腐の製造で有名な角濱ごまとうふ総本舗が経営しているお店。胡麻豆腐を使ったお料理を色々頂くことができます。

 正直、『胡麻豆腐ってこんな食べ方もできるの?』っていう驚きがあり、高野山という聖地にあって、胡麻豆腐好きにはもう一つの聖地と呼べるお店です。少々値段はしますが、お勧めは金剛懐石と胎蔵懐石です。これでもかと言うほど、胡麻豆腐を堪能することができます(写真は胎蔵懐石)。

 大門近くにあって少し遠いですが、最近は姉妹店である角濱ごまとうふ総本舗 小田原店もできたようで、より便利になっています。

 ちなみに、高野山で豆腐といえば高野豆腐を思い浮かべる人も多いと思いますが、あまりメジャーな食べ物ではありません。お土産物屋さんなどでは高野豆腐も売っていますが、胡麻豆腐ほどではありません。明らかに高野山発祥の食べ物であり、知名度も高いのに、製造もされていないんですよね。高野山に高野豆腐がないのはとっても不思議な現象です。

 それと、高野山はスイーツも美味しいです。スイーツといっても和菓子ですが、最も有名なのはやきもちで焼いた薄べったいあんこ餅です。高野山に登り切る少し手前の花坂という地区の名物で、高野山の多くの和菓子屋で扱っています。多分、上きしやが特に有名だと思います。歴史の方も非常に長く、高野山が開かれた頃から作られていると伝えられ、その通りだとするなら1,200年以上にもなります。普通の餅とよもぎ餅があり、素朴な味わいが魅力です。

 他にもみろく石本舗 かさ國みろく石というお菓子なども有名です。みろく石も含め、かさ國のお菓子は、金剛峯寺の御用達菓子ということで他よりも高級感があります。餡子のキレが良く、小豆のふくよかさはありながらも他のお店よりシャープな味わい。素朴な味わいと言ったやきもちも、ここのものはとても上品で高級な味わいです。

 今回、特にお勧めしたいのは麩善さんの笹巻あんぷです。こし餡を生麩で包み、熊笹の葉で包んだ生麩の饅頭です。元々は、精進料理の食材の一つだったものに改良を加え、それ単体で和菓子として食べられるように昭和62年に開発したものだそうです。滑らかな舌触りのこし餡と、熊笹の清涼感のある香り、お餅では絶対に表現できない生麩ならではの切れの良い食感が魅力です。あまり、他では経験できない個性的な美味しさがあります。

魅力・その参 心の経済原理

 現代の日本で、経済はお金によって動いています。それはもちろん高野山においても同じです。どこのお店だって、商売だからお金を儲けるために営業しているし、宿坊だって宿泊客からお金を取ります。ただ、高野山で過ごしていると、お金儲けをして利益を上げるという経済の原理以外の原理を感じる時があります。お金の手前に、お金より大切なものがあるような気がするのです。

 例えば、高野山で毎月二十一日は『お大師さまの日』と定められていますが、その時には無料のイベントが行なわれたり、特定のお店では無料で胡麻豆腐が振る舞われたりします。別にタダなのが素晴らしいと言いたいのではありません。お金の前に、心があると言いたいのです。抽象的な言い方ですが、お金に心が動かされているのではなく、心がお金を動かしている感覚です。

 お盆に行われるお祭りで、高野山ろうそくまつりというお祭りがあります。これは、一の橋から奥之院御廟橋までの参道の両脇に、びっしりと蝋燭が並べられ火が灯される幻想的なお祭りです。参加者は予め配られた蝋燭を、想い想いに火を灯しながら参道の傍らに並べていきます。もちろん参加するのにも蝋燭を貰うのにもお金は要りません。参道は二キロあります。その両側に並べられる蝋燭の数はなんと10万本です。高野山の人々は、参加者の為にそれをすべて準備してくれるのです。心がなくては、お金だけでどうこうできるレベルの話ではありません。

 古来から、日本では贈与の経済というものが成り立っていました。美味しいミカンが取れたから食べてねとか、田舎からお米が送られてきたとか、餅まきで餅を貰ったりとかです。それだけで、結構な生活の部分を賄うことができていたのです。現在では、それらはGDPやGNIに含まれることはなく、おそらく経済とは呼べないものだと思います。金額じゃなく、心によって計られるべきものだからです。

 高野山では、今だにそんな心の経済原理が機能しているような気がします。おそらく、お大師さまの教えっていうお金よりも大切なものを守ろうとする想いが根底にあるのでしょうが、そんな感謝の波が寄せては返す高野山、魅力的だと思いませんか?

魅力・その肆 信仰

 高野山の魅力のすべての源泉には、やはり仏教、そして弘法大師空海に対する信仰があるのだと思います。実のところ、高野山の至る所が祈りの場です。僕は九度山町にある慈尊院から高野山の大門までの町石道を歩いたことがありますが、鳥居に積み上げられた石ころや、道端の石ころのような仏像に、人々の信仰心を感じ取ることができました。そして、その感覚は大門をくぐり、高野山、奥之院に近づくたびに増していきます。

 奥之院参道には、深い苔に埋もれるように無数の小さな仏様が置かれています。まるで子供の悪戯のような出来の仏像や、石くれのような仏塔もあります。それらは、高名な武将のように高野山にお墓を持つことはできないが、せめて自分の分身として参拝者が残していった信仰の断片です。

 僕を含めて多くの現代人にとって、信仰は具体的なものではありません。しかしながら、それらの小さな仏に手を合わせるとき、あたかもそれがタイムカプセルででもあるように、保管されていた彼らの祈りが再び命を吹き返すように感じるのです。彼らがしたのと同じように、僕は手を合わせると祈りを捧げ、タイムカプセルの蓋を開けるのです。そのとき僕は、彼らが信仰によって繋がっていたものに、一時でも繋がれたのかも知れません。少なくとも、傲慢な現代人が、ちょっと一休みして大きなものに寄り掛かれる瞬間ではありました。

 高野山は沢山の魅力に満ちています。もし、あなたが僕の話に魅力を感じたのなら、一度、高野山を訪れてみて下さい。きっと、僕が感じた以上の魅力的な経験に出会うことになります。何故なら、高野山は、今もあなたの訪問を待ち望んでくれているからですよ。

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