探し物は何ですか?

こころ

 目的のものを手に入れることが、本当に大切なものを手に入れるということでしょうか。意図できるものはあなたが既に知っているものです。それでは予想もできない素晴らしいものに出会うことはできないのです。予想もできない素晴らしいものは、あなたがまだ出会ったことのないものであり、これから出会うものだからです。

暗闇で探し物をする

 あなたが暗い部屋で鍵をなくしたら、素早く見付けるために、部屋の電気を点けるでしょう。それがベッドの下なら、スマホの懐中電灯機能で何とか手を伸ばし、そこに鍵が無いかを確認すると思います。そして、鍵が無いことを確認すると目的を果たして、次の部屋へと向かうのです。

 この方法は合理的で、目的の探し物を見つけるための最善の方法であることに異論はありません。しかし、その方法では目的の物しか見つかりません。見付けた鍵のほん少し先に、金貨が落ちていたかも知れないのです。

 それでは本当に素晴らしい物を見つけたい時は、いったいどうすれば良いのでしょうか。それは、とても簡単です。照明の明かりを消して、薄暗がりの中で探し物をすれば良いだけなのです。曖昧な輪郭を手探りで、探っていけば良いのです。つまり、探している行為から、具体性を取り除くのです。

 今触れているものが何なのかも分からないまま、次の何なのかも分からないものへ向かうのです。これではないと切り捨てるのではなく、曖昧なまま受け入れるのです。その曖昧さは予想以上のものの混入する隙間になります。目的は具体性を失い、可能性を手に入れるのです。

ブリコラージュ

 以前、ネパールを旅行した記事で、ブリコラージュという考え方について書きました。ブリコラージュについて、もう一度簡単に説明しておきます。

 『計画に従わず、あり合わせのものを寄せ集め、それらを使って何が作れるかを試行錯誤しながら、結果的に新しいものを作り上げること』を言います。もともとは、起用仕事や日曜大工という意味なのですが、クロード・レヴィ=ストロースが著作『野生の思考』で哲学的概念として提示しました。つまり、具体的な目的と手段を持たずに、試行錯誤しながら、手探りでまったく新しいものを作り出していくことをいいます。

 このブリコラージュという手法は、暗闇の中で無くし物を探すのと同じです。目的に直接アクセスするのではなく、どちらも手探りするのです。結果的に、予想もできなかった素晴らしいものに出会うことができるのです。ネパールの旅では、偶然と気紛れを辿るように、新年のカウントダウンという思いもしなかったクライマックスを迎えることができました。

逍遥遊(しょうようゆう)

 現代の社会では、具体的な目的を持って行動することが求められているように思います。会社では、予算が与えられ、それを達成するために具体的な計画が決められます。仕事に限らず明確な目的を持って生きることは素晴らしいこととされているように思います。名門大学に入学すること、安定した企業に就職すること、良い相手と結婚すること、健康な子供をもうけて、老後の資産を蓄えること。それらは人生設計と呼ばれます。

 それらが必要であることは認めます。僕もそうやって生きてきましたし、これからもそうやって生きていくことだろうと思います。しかし、暗闇で探し物をする例や、ブリコラージュという考え方を見てもらえればご理解頂けると思うのですが、明確な目的を持って生きることは、それ以外の可能性を排除することと完全に同意です。社会からは歓迎されるかも知れないですが、実は可能性を限定し、予測の範囲内に自分を押し込めているているに過ぎません。

 自分は無目的に生きている、ないしは目的通りに生きれていないと、嘆く必要はありません。無理して目的を見付ける必要もありません。あなたの人生の本当の目的など、おそらくあなたが知り得るものではないのです。発見した目的が、本当に見付けたかったものを発見するための、邪魔になるかも知れないのです。

 吹き抜ける風にでも行き先を聞きながら、無為にそぞろ歩き、辿り着いた場所こそ、本当の目的なのだと思います。ほんの少し力を抜いて、気楽に散歩でもしてみて下さい。何か思いもよらない大切なことに出会えるかも知れません。

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