ゾロ目さん、リターンズ

精神世界

 以前、僕がゾロ目さんと呼んでいる人達について解説しました。詳しくは愛すべき愚者たるゾロ目さんへという記事を読んで頂くとして、ここではもう少しゾロ目さんに関する解説を続けたいと思います。

 そもそもゾロ目さんとは何者なのかということなのですが、ある日突然、普通の人がゾロ目さんに変化してしまうのです。それはゾンビに噛まれた人が、突然ゾンビに変わってしまうのととてもよく似ています。そして、映画の中で世界がゾンビだらけになってしまうように、この世界も実はゾロ目さんだらけになってしまっているのです。つまり、ある意味あなたもゾロ目さんの一人なのです。

ゾロ目さんて、どんなひと?

 では、そのゾロ目さんとはどういう人なのかを、もう一度おさらいしていきましょう。ゾロ目さんはある日突然、「最近、ゾロ目を良く見るようになったんだけど,そんなことない?」と,怯えた顔で聞いてきます。具体的には、夜中に不意に目覚めて時計を見ると2時22分だったり、ゾロ目のナンバーの自動車を余りにも頻繁に見るようになったり、コンビニのお釣りが555円だったりといったことです。

 そして、突然起こった奇妙な現象に意味を探し出そうとします。僕に相談してくれた友達の場合は、元カレの誕生日がゾロ目だったことから、元カレに何が良からぬことが起こるのを暗示しているのではないかというものでした。

 良く似た現象には、自分が妊娠すると、世間に妊婦さんの数が急に増えたと言い出す人や、自分が自動車を買った途端に、同じ車種の車が急に増えたと感じる人たちがいます。

なぜゾロ目さんは生まれるのか?

 それではなぜ、そんなゾロ目さんが生まれるのかということを解説していきます。理由はいたってシンプルで、その人の無意識の中に、何らかの理由で強いこだわりが生まれ、意識に影響を与えてしまうからです。足が短いとか、ハゲているとか、胸が小さいなどといった無意識のコンプレックスが、意識に影響を与えるのと同じ構造と言って良いと思います。コンプレックスがそうであるように、その現象は無意識の中で起こっているため、本人は心の中でどのようなことが起こっているのかに気付くことができません。本人からすれば、ただ、ゾロ目が増えたとか、妊婦さんが増えたと認識するだけです。

 もう少し具体的に説明を続けます。ソロ目さんは,自分の認識する世界の中から,わざわざゾロ目を選択して認識しているのです。他の事象は今まで通りなのに,ゾロ目だけが選択され、認識される頻度が増します。この構造だけ聞くと,ゾロ目が増えるのは当然だろうと思われるでしょうが。当の本人は,そう思うことができません。何故なら,『自分の認識する世界の中から,わざわざゾロ目を選択している』という部分が無意識に行われ,意識的には『ゾロ目が増えた』という認識があるだけだからです。

気づいて欲しいこと

 そして,それは何もゾロ目さんに限ったことではありません。妊婦が増えたという妊婦さんや,自分の乗っている車種と同じ車が増えたと感じる人がいるように,それ以外の人々も同じ心の構造を持っていて常にその影響を受けているからです。つまり,ゾンビは既に世界に蔓延しているのです。そして,僕がみなさんに気づいて欲しいことはこのことなのです。つまり,あなたもまたゾンビウイルスならぬゾロ目ウイルスに感染した,ゾロ目さんの一人であるということです。

 『そんなはずない!』とお思いのことと思いますが、無意識の影響を受けない人はいないのです。その事実を理解しても『そんなはずない!』と思い続けるのなら、きっとその人は気づきを避けて現状に甘んじていたいだけです。

 それでは、わざわざ自分もゾロ目さんの一人であるということに気づくことが、何故必要になるのでしょうか。それは、ただ自分の愚かさに気づくためだけではありません。そもそも誰もがゾロ目さんであるのなら、ゾロ目さんであるのは愚かなことではありません。そこに利点があるからこそ,ゾロ目さんであることは気づかれるべきなのです。

ゾロ目さんであることに気づくと,どのような利点があるのか?

 では,自分がゾロ目さんであることに気づくと,どのような利点を得れるのでしょうか。

 それは,自分の目に見えているものが事実であるという思い込みからの解放です。僕たちは,自分をめぐる世界を認識し,喜んだり苦しんだりします。何故ならその認識が事実であると信じ切っているからです。あなたは今までの人生で,「そうするのが当たり前だろ」などという言葉で叱られたことはないでしょうか。おそらくは,あなたの上司か,先生か,親である彼らがあなたを叱る根拠は,彼らが見てきた事実がそうであったからです。しかし,彼らもまたゾロ目さんであるわけですから,彼らの見てきたものは事実とは言い切れず,彼らの言葉に強制力はありません。つまり、みんながゾロ目さんであることを知れば、事実であるという思い込みから自由になることができるのです。

 僕の知り合いに,常に社会に対して不平不満を感じている人がいます。彼は,社会の不公平を嘆き,その中で生きなければならない自分の不運を嘆きます。確かに、社会が事実彼の感じるように不公平であり,彼が不運であるのなら,彼の嘆きももっともです。ただ,彼の見ている不公平で不運な現実は,本当に事実なのでしょうか。

 確かに多くの人が,社会に不満を感じているのは事実です。しかし,その不満には度合いがあります。ある人には生きていくことができないほど社会は不幸に満ちているように見え,別な人には不幸であるけれど受け入れられないほどでもないものに見えています。もしかすれば,別な人には,社会に不幸は存在せず,幸福に満ちていると見えているかも知れません。つまり,唯一の事実と感じている現実が,認識する人の数だけ存在しているのです。正解と言える,確かな現実は実際のところありません。あらゆる人の認識する世界は実際とは別物の、主観的世界に過ぎないのです。

自分を変化させるために

 彼が世界を不平等て不運だと認識した原因の一つは、もちろんゾロ目さんが出現するのと同じです。彼は、彼の無意識の中に『不平等と不運』に関する強い拘りを持って、『不平等と不運』をわざわざ選び出しているのです。ただ、『不平等と不運』をわざわざ自分で選び出しているという部分が、すべて無意識の中で行われているため、彼がそれに気づくことができないのです。結果的に、彼には『世間は不平等で不運ある』ことが事実として実感されてしまう訳です。

 もし、彼が、自分はゾロ目さんの一種であると知ればどうなるのでしょうか? 少なくとも彼が世間のせいで不平等と不運を被っていると嘆く必要はなくなります。そう見えているのは、社会のせいではなく、彼の無意識の構造のせいなのです。社会を責めるのではなく、自分の心を改善しようするはずです。自分の無意識と向き合い問題を探るはずです。他者を責めるより、自分を責める方が問題解決には明らかな近道です。

目の中の丸太に気づく

 イエス・キリストの言葉に『あなたは,兄弟の目にあるおが屑は見えるのに,なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか』というものがあります。他人を裁くことの愚かさを説いた話と言われますが、その通りだと思います。僕の理解が十分だとも思わないので細かい説明は省きますが、ここで学びたいのはイエスの言葉が指し示す心の構造です。

 世界の不平等と不運を嘆く知人のように、人はその原因を他者にばかり求めています。何故なら、自分の目の中にある丸太に気付くことができないからです。本当に取り除くべきものは、他人の目の中にあるおが屑ではなく、自分の目の中にある丸太であるにも関わらずです。

 理由は、人には自分を責めずに安易に他人を責める傾向があり、さらに丸太がある場所が無意識の中だからなのだと思います。この無意識の中にあるというところが、ゾロ目さんと同じです。無意識の中にある何らかの拘りが、認識する世界を主観的に歪めてしまっているのです。もし、その丸太を取り除くことができれば世界の見え方は変わるのに、と思うのです。

 方法は簡単です。自分が絶対的な事実として見なしている世界が、単なる主観的事実に過ぎないということに気づきさえすれば良いだけなのです。それは、事実であるという思い込みからの解放であり、主観的世界という袋小路からの脱出、すなわちより自由な認識による現実の上書きです。

 ゾロ目さんという現象が、それに気づく切っ掛けになることを願っています。

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