社会の片隅で、今日もミニ宗教は生まれているのです。その多くはサークル程度の規模で生まれ、宗教団体と認識されることもなく消えていくのだと思います。
既存の宗教から派生した宗教
新興宗教の発生の仕方としては、既存の宗教から分裂する形をイメージされる方が多いのかと思います。創価学会が日蓮正宗から飛び出す形で生まれたり、ほんみちという宗教が天理教から生まれたりです。
ほんみちの場合
ちなみに『ほんみち』とは、大阪府高石市に本部を置く新興宗教で、教団員の多くと宗教団体としての機能は、少し南にある泉南市に集中しています。泉南市には教主が住んでいて、その近くの一般の家は教団によって買い上げられ、信者の方たちが暮らしています。信者の多くは入信する際に私有財産のすべてを教団に差し出します。その代わりに、教団から生涯にわたる保護が与えられるのです。具体的には衣食住と仕事、後は老後の介護です。

ただ、仕事は基本的には教団の運営する建設会社で働き、収入のかなりの部分は教団によって天引きされるようです。住居は教団の買い上げた近隣の家に住むことになります。マンションのような集合住宅もありました。戸建では、一軒の家に二世帯程度の家族が暮らします。この二世帯とは親戚とか血縁者ではなく赤の他人です。あと、ほんみちはできるだけ多くの子供をもうけることを勧めています。だいたい五人ぐらいの子供が居るようです。つまり、一軒の家に、二世帯が暮らすとして、両親が四人、子供が十人、合計で十四人が暮らすことになります。寝る場所がなくて、廊下で寝ている子供たちも居るとのことです。
子供が多い理由というのでもないですが、ほんみちは積極的に布教活動はしていません。どちらかというと子供を増やすことで教団を拡大しようとしているようです。後は老後のことですが、もちろん教団が面倒をみてくれます。もし身寄りがなくとも、赤の他人の信者が、自分の親として引き取り介護してくれるようです。
教主の暮らす泉南市をほんまち市に名称変更しようとしたり、ほんみちの子供達は基本高校に進学しなかったり、貧しくて子供の服が買えないから学校に制服を採用させようとしたりと色々あるようですが、基本泉南市や、信者以外の近隣住民とは上手くやっているようです。いろいろ特殊な傾向のある宗教ですが、個人的に触れ合った人は、とても良い人ばかりでした。
啓示を受ける宗教
新興宗教の生まれるパターンとしては、既存の宗教組織から分離するのではなく、神様からの啓示を受けて、いきなり教祖になっちゃうパターンがあると思います。実のところこれが一番多いんじゃないかと思います。ほんみちも、教祖の大西愛治郎が、自分は天理教の教祖である、中山みきの後継者であるという啓示を受けたのが始まりですし、その中山みきも憑依状態になり神の啓示を受けたことが天理教を始めるきっかけになっています。ある種神からの啓示を受けて始まる方が新興宗教の始まりとしては、典型ではないのかと思えます。
それは、あたかも統合失調症患者の症状のようです。ただ僕は数々の教祖たちを統合失調症の患者と言いたいわけではありません。あらゆる意味でその逆です。哲学者のミシェル・フーコーは、精神病院に入院する患者を、社会が近代化される以前の昔なら、神と対話する特殊な才能を持った人として、社会的にも受け入れられ、一定のリスペクトすら得ていたと語っています。
南米の先住民の子供が精神病的状態になり、親はシャーマンの元へ連れて行ったそうです。するとそのシャーマンは子供の持つ才能を見抜き、親の希望とは逆にシャーマンになるべく教育したそうです。ある種の統合失調症的気質は、神秘的な世界に繋がるための才能であろうということです。つまり、巫女とか預言者というような存在です。
神路原神社の場合
例えば、神路原神社という宗教団体があります。元々、教祖の家の守り神であった天巳大神が、日本を守る神様になるという啓示によって始まった宗教です。家業のような規模で行われている宗教ですが、本部のある場所とはかなり離れた山の上の場所に、大規模な宗教施設を持ち、何故かお城があります。そこまで行く道路がかなり酷い状態であり、訪れる人も少ないのか、ずいぶん寂れた状態でした。ただ、お城の入り口に冊子が置かれていたので管理はされているようです。




真理の友教会の場合
他にも宮本清治という教祖によって開かれた真理の友教会という宗教団体があります。この宗教はとても悲しい過去を持っています。
宮本清治は紀三井寺というお寺の観音像の前で坐禅し悟りを開き、エホバを主神としたキリスト教系の宗教団体『真理の友教会』を1950年に設立しました。『えっ? 観音様の前で悟りを開いて、キリスト教? どういうこと?』と思うのですが、まあ宮本の中では整合性が取れていたのだと思います。
そして、この宗教はとても悲しい過去を持っています。教祖が死んだ後、信者の女性7人が、「先生(宮本)のお世話をするのが神の花嫁の仕事。先生と天国へいきます」という遺書を残し近くの海岸で焼身自殺をしています。よっぽど思い悩み、集団心理も働いたのだと思いますが、そんなことでいったい誰が喜ぶのかと思うと悲しい想いが込み上げてきます。宗教というものの罪深さを観るような気がします。

現在では表札のような看板ありますが、活動実態はなさそうです。
鰯の頭も信心から
そう言えば、名前も忘れてしまいましたが、新興宗教の教祖の奥様と偶然お話したこともあります。その方の旦那さんのお父さんかお兄さんの始めた宗教団体を引き継いだとのことでした。正確には教祖ではなく、教主様なのかも知れません。教義に関してどのようなものかを聞きましたが、良く分からないとのことでした。他では、付き合ってた彼氏が信仰宗教の教主の息子だったという友達もいました。付き合ってから知ったそうですが、教主の息子であり次期教主である割に、余り性格がよろしくなく残念ながら別れたそうです。
どちらも家族経営の小さな宗教団体でしたが、そのような宗教は僕らの予想以上に多く存在しているのだと思います。
それは誕生なのだろうか
以前、とある霊能力者のところに連れて行ってもらったことがあります。知人の一人が問題を抱えていて、その霊能者の霊能力で解決してもらうので一緒に行かないかと誘ってもらったのです。いきなりぶっ飛んだ所から話は始まるのですが、いたって好奇心の強い方ですので、僕は二つ返事で同行しました。
霊能者の住む一軒家は平均的な規模で、やや立派かなってくらいの印象。ただ、客室に通されると、奥の壁面が巨大な神棚になっています。その神棚を背にして霊能者が座り、向かい合う形で僕達が座布団に座りました。霊能者はそれぞれの人の問題を聞くと、次々にその人に関する伝えてもいないことに答えていきます。そして、その答えのほとんどが……、外れてる。当たっていることと言えば、「浪費家ですね」などの外見を見れば分かる程度のことである。そりゃ、どっさりブランド物の服を着てれば、僕だって当てられるよって思いました。
その間、僕らに霊能者を紹介してくれた人(一人ではない)は、神妙な顔で霊能者の話を聞いていました。霊能者を心底信奉しているのが分かります。ある程度話に一括り付いて雑談になったとき、霊能者が「この辺に、大きな台風が来ることはないだろう。あれは台風が避けるように結界を張っているからや」と言い出しました。僕は、『数年前に、豪雨災害があって死者まで出たけどな』などと思いながらも、「えっ? 誰が結界を張っているんですか?」と開いてみました。その瞬間、その場の雰囲気が変わったのを覚えています。僕たちを連れてきてくれた信奉者の方と、その霊能者の関係者(その霊能者には女性の弟子が居た)の間にピリピリとした緊張感が走りました。おそらく僕の質問は聞いてはいけない質問か、聞くまでもないか、少なくとも愚かな質問だったのだと思います。その霊能者はゆっくりと僕の方に振り向き、少し顔を近付けると「私や、私が結界を張ってみんなを守っている」と言ったのです。その言葉を聞いた関係者と信奉者の満ち足りた微笑みに、僕は「そうですか」と言っただけで、数年前の豪雨災害のことは、そっと心の奥に仕舞っておくことにしました。
その後は、「後は任せておけ、すべては私が解決しておく」と言う霊能者にお礼を支払うと、弟子の女性と関係者の方、僕達を連れて来てくれた信奉者の方と食事をしながら談笑しました。とても良い人ばかりでした。結果的には誰一人問題は解決せずに終わりましたが(素晴らしい結果の出ている人も居るのだと思います)、貴重な経験をさせて頂いたことと、我が身のように心配していただいたことに感謝しています。
しかしながら、何故この霊能力者の話を出したのかと言うと、僕はミニ宗教の始まりに触れたのかもなって思っているからなのです。この霊能者にはそれなりのカリスマがあって、弟子や関係者という組織が出来上がっています。そして、霊能者を信じ、『この人についていけば大丈夫』と心を委ねている信奉者がいます。
後は、この霊能者が「私は神の御使である」とでも言えば宗教は完成するのです。霊能者は教祖になり、弟子や関係者は教団組織、信奉者は信者に収まり、委ねる心は信仰心に変わるのです。たった一言発するだけで、新たな宗教が誕生するのです。この霊能者の方が宗教を始めるかどうかは分かりませんが、そんな経緯を辿った宗教も沢山あるように思うのです。その内の幾つかは天理教やほんみちのような巨大宗教に成長し、そして幾つかは真理の友教会のように人々の記憶からも消え去っていくのでしょう。
それが良いとか悪いとか言うつもりはありません。僕に言えることは『鰯の頭も信心から』ってことぐらいです。そして、宗教って何だろうってますます分からなくなるのです。
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