高野山で非二元と出会う 1

精神世界

 高野山を散策していると、町自体に隠されたメッセージに気付くことができます。今回は、そのメッセージ、そしてそのメッセージから浮かび上がる高野山とは何なのかという秘密を読み解いていきたいと思います。

高野山と二つのもの

 高野山を散策していてまず気付くことは、壇上伽藍と奥の院、聖地と呼ばれる場所が二つあるということです。壇上伽藍は様々な儀式が行われる僧侶のための聖地で、弘法大師空海の入定された奥の院は空海を慕う一般信徒のための聖地であると言われます。通常は、どちらかの聖地がより重要であると位置付けられ、一方が栄えもう一方が廃れるような淘汰がなされるものだと思います。しかしながら、高野山において、この二つは等しく重要な場所として扱われているのです。そして、この『二つ』ということに注目して見てみると、観光に訪れ趣を眺めるだけの高野山とは違った姿を見出すことができるのです。

 高野山は神聖な寺院と世俗的な商店が、一つの場所に共存しています。ここにも聖と俗という二つのものが存在します。女人禁制だった頃も、女人道が山全体を取り囲み、女人堂が設置されていました。男性性と女性性という二つのものが存在しています。ちなみに、高野山では随分昔に、真言立川流と言われる密教の流派が流行ったことがあると聞きます。立川流は、男女の和合によって悟りを得るという教えを持ちます。つまり、男女がエッチすることで悟っちゃおうっていう怪しげな教えですね。おそらく、インドのタントラや、チベット密教の影響を受けているか、同じアプローチだったのだと思います。男性性と女性性に関しては、後でもう一度触れることになります。

 話を二つのものに戻しますと、壇上伽藍の中心には根本大塔が聳えています。あたかも、壇上伽藍の中心を象徴するような建物ですが、根本大塔は二つのものの片方にしか過ぎません。実は根本大塔には対をなすもう一つの塔があって、それが西塔なのです。西塔は根本大塔より二回りほど小さな塔で、重要性では根本大塔に劣るように感じますが、実際は等しい価値を持ちます。西塔のサイズが小さいのは、単純に建設当時、根本大塔と同じだけの大きさに造るだけの予算がなかったからだそうです。

西塔と根本大塔

 何故、根本大塔と西塔が同じ価値を持つと断言できるかという根拠には、両界曼荼羅の存在があります。両界曼荼羅は、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の二つの曼荼羅を総じた呼び方で、大日如来の説く悟りや真理を視覚的に伝えるものです。そして、それら二つの曼荼羅の中心には、それぞれ大日如来が描かれています。根本大塔には胎蔵曼荼羅が祀られ、本尊は胎蔵界大日如来です。もう一方の西塔には金剛界曼荼羅が祀られ、本尊は金剛界大日如来です。つまり現れた世界が違うだけの同じ大日如来であり、その価値は完全に同一です。そして、多くの人がお気付きかと思うのですが、ここにも金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅という二つのものが存在しています。そして、この二つのものこそが、高野山に数ある二つのものの根元と言っても良いものなのです。

金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅

 何故そう言い切れるのかというと、金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅は元々、金剛頂経と大日経という別々の経典を基に描かれ、それらは別々の時期と地域で起こったものだからです。全く別々であったものが、弘法大師空海の師匠である恵果によって、あえて両界曼荼羅という二つで一つのものという形に構成されました。そして、僕は高野山に溢れる二つのものの始まりは、この両界曼荼羅であるとも言っています。つまり、高野山に溢れる二つのものは、大元の両界曼荼羅と同じくあえて二つという形を取っていると言うことができます。

金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅

 それでは、高野山にある二つのものを、両界曼荼羅という視点を通して見直していきたいと思います。そこで問題になるのは、両界曼荼羅、つまり金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅とは何を表しているのかということです。

 高野山は真言宗と言われる仏教の宗派で、密教と呼ばれるスタイルを持ちます。密教はその教えを一般には秘密にし、師匠から弟子だけに口伝で伝えていくことを特徴とします。秘密仏教が略されて、密教と呼ばれている訳です。秘密にする理由はニュアンスを含め直接伝えなければ伝え切れないからとか、ヒンドゥー教が盛んになっていたインドで箔をつけるために逆に内容を秘密にしただとか、教えの内容が善悪などといった道徳的規範を超えるため無闇に伝えることを避けたからなどとも言われています。

 つまりと言うか、とにかくと言うべきか、両界曼荼羅の持つ意味は本来秘密にされるべきものなのです。しかしながら、幸いと言うべきか、空海によって密教が伝えられてから1200年以上が経ち、そんな長い間守られ続ける秘密などもなく、現在では両界曼荼羅の持つ意味や、密教の持つ真理の意味は概ね明らかにされているのです。そして、漏れ伝わった部分を辿って、僧侶でもない僕たちも、高野山の深層に分け入ることは許されるのです。

両界曼荼羅のそれぞれの意味

 もう一度整理しておくと、個別に両界曼荼羅と言われる曼荼羅はありません。金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅を合わせて祀るとき、それらは両界曼荼羅と呼ばれることになるのです。右手と左手というものがあり、それらを合わせて呼ぶときは両手と呼ぶのと同じです。つまり、金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅の意味を知れば、両界曼荼羅の意味も自ずと理解できるようになるのです。

 金剛界曼荼羅は、大日如来の智慧を表し、男性性、神聖な原理、主体性を象徴します。かたや胎蔵曼荼羅は、大日如来の慈悲を表し、女性性、世俗の原理、客体性を象徴します。つまり、高野山に偏在する二つのものは、この二つの曼荼羅の中に既にすべて内在していると言えるのです。

 更に、それらは相対的意味を持つものであり、対になっていることにも気が付かれることかと思います。両部曼荼羅は、別々だった二つの曼荼羅をあえて対の存在にしたということは先に書いています。なぜわざわざそのようなことをしたのかということに関しては、推測することしかできませんが、ここではひとまず『一つにするために、二つにした』のだろうということだけ伝えておきます。

 ただ、金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅という二つのものは、あわせ鏡に写る像のように相対関係の反射を繰り返し、高野山全体へと広がっていくのです。高野山はその地形から、蓮の花に例えられることがありますが、正にその通りだと思います。花托を中心に向かい合う花びらは、相対を繰り返しながら全体へと向かっていきます。蓮の花びらが広がるように折り返された二つのものの相対関係もまた、そして高野山全体へ広がっていくのです。

 高野山において、最も巨大な相対関係、つまり対になるものは、壇上伽藍と奥の院という二つの聖地です。壇上伽藍は金剛界曼荼羅を象徴し、奥の院は胎蔵曼荼羅を象徴します。つまり、高野山自体が、巨大な両部曼荼羅を象っており、そうなるために壇上伽藍と奥の院という二つの聖地が必要とされたのです。

高野山で非二元と出会う 2 へ続きます

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