このブログを読んでくれている人の多くは、仕事を持っていることだと思います。そして、仕事をするということは、社会に組み込まれ、社会を動かしていくという重要な役割りを持ちます。
沢山の歯車で成り立っている、社会というシステムを思い描いて下さい。そして、あなたがその歯車の一つであるとイメージしてみて下さい。あなたが回転を止めると、その社会というシステムはどうなるでしょうか。どれだけそのシステムが巨大であっても、一時は不具合を起こすし、あなたという歯車がどの部分に使われているかによっては重大な問題に発展するかも知れません。少なくとも、バックアップが機能を始めるまで、あなたの隣りの歯車は停止することになります。だから、どんな仕事であれ、社会を動かすために等しく価値があり、あなたは社会によって必要とされでいる。それは、個人にとって、とても喜ばしい状況ではないかと思います。
受け入れ難い事実
しかし、今回お話しさせてもらうのは、働くということに関する若干視座の違う内容です。働くことを『資本家』と『労働者』という観点から見ていきたいと思います。ちなみに、いきなり共産主義っぽい雰囲気になっていますが、僕は豆ご飯と同じくらい共産主義者が嫌いなのでそこのところはご安心下さい。
テレビのインタビューで、中国人起業家が「自分の人生という時間を切り売りしてお金を稼ぐ者と、自分のアイデァを使ってお金を稼ぐ者との二種類の人間がいる」と言っていました。つまり、自分のアイデアを具現化してお金を稼ぐ経営者と、具現化を手伝うために自分の人生を売りお金を貰う労働者です。
『人生を売る』と言われてもピンとくる人は少ないかも知れません。「オレが売っているのは労働力だ」と感じる方も多いと思います。しかし、それは事実を受け入れたくないための誤魔化しなのではないでしょうか。あなたが誰かに雇用されているとして、8時間働いたとします。それは8時間分の労働力であると同時に、8時間分の人生です。月20日働き、それを40年続けたら7万6千時間になります。それだけ分の人生をあなたはお金で売ったのです。それは売血でお金を稼ぐのと大した差はありません。その逆に雇用者は、あなたの人生の7万6千時間をお金で手に入れたことになります。金にあかせた臓器移植で寿命を延ばしているようなものです
誰かの人生を買う
一人の人間の労働力がもたらす結果は限られています。縄文時代を考えてもらいたいのですが、一ヶ月掛けて縄文土器が二、三個作れるといったところではないでしょうか。器用不器用の差はあれど、一人の人間が成し得る仕事量に大した差はありません。それでは、現代ではどうでしょうか? 平均的な日本人の生涯年収は、2億円ほどです。かたやお金持ちの代表であるビル・ゲイツの総資産は15兆円を超えます。単純に比較できる数字ではありませんが、その差、七万五千倍です。ビル・ゲイツ氏と僕たちの間に、七万五千倍の仕事量の差があったというのでしょうか。流石にそれはありません。僕たちが一個縄文土器を作る間に、何者も七万五千個の縄文土器を作ることはできません。
しかし、結果として彼はそれだけの資産を築いています。一体どうすればその様なことが可能なのでしょうか。中国人起業家のインタビューを参考に、あえて救いのない極論を言えば、彼は七万五千人分の人生を買い、その人生を生きたのです。
それは残酷な事実です。ビル・ゲイツは、もしくは他の富豪と呼ばれる人々にしても、ほんの少しのアイデアと幸運に恵まれていただけに過ぎません。再び縄文時代に例えるなら、ほんの少しだけ縄文土器を器用に作ることができただけに過ぎないのです。しかし、そのわずかな差を貨幣経済が増幅し、彼らは多くの人の人生を買い漁り、一度の人生で何万人分もの人生を生きることに成功したのです。
残された時間を誰のために生きるか
しかし、僕はその不公平を責めるつもりはありません。そこには、売るものが自分の人生程度しかないという労働者側の止むに止まれぬ理由と、個人を超えた人類的使命のようなものを実現しなければならないという資本家側の理由もあるのだと思います。やはり、現代は縄文時代とは違うのです。その事実は甘んじて受け入れられるべきだと思います。資本を一人に集めなければ成し得ない、人類としての仕事もあるのだと思います。
誰かに人生を切り売りして、お金を稼いているという事実を受け入れたとしても、やはりあなたの人生はあなたのために使われるべきではないかと思うのです。若い頃は、余っているのは時間だけって状態かと思います。それなら積極的に人生の時間を売って、お金を稼いでいれば良いと思うのです。何しろ余っているのですから。しかし、歳を取れば状況は変わってくるのではないでしょうか。
僕の知り合いで、シェアハウスを運営したいという人がいました。老人とまではいえないですが、ある程度の年配の女性で、仲の良い友達たちを集めて一軒家を借り、リフォームし、プライバシーと相互補助を両立した空間を創りたいとのことでした。老人同士で介護する老人ホームようなもので、ある意味、少子化、高齢化という社会問題への問題提起でもあると言っていました。そして、彼女はそれが自分の夢だとも言っていたのです。もしそれが自分の夢なら、今直ぐ夢を叶えるために生きるべきです。あなたの夢は、あなたの人生そのものと言えます。
可能性を弄べるほど若くなくなったら、そしてあなたの人生が有限であることを受け入れたら、どうか金で人生を売り渡して後悔しないように生きて下さい。他人の人生を生きることは止めて下さい。あなたの人生は、やはりあなたのものなのなのです。
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