虚構の向こう側の世界② 拡大する虚構

こころ

前回の記事、『虚構の向こう側の世界① 認知革命』では、虚構と呼ばれる抽象概念とは一体どういった概念か、社会集団、文明を構築するのに絞って見ていきたいと書きました。ここからは、イマジネーションと直感を使って、記事を読んで頂くことになります。

肥大化する虚構

社会が村程度の規模であるなら、そこに特別な虚構は必要ありません。実体験として共同体を実感できるからです。それでも、宗教などは必要であり、抽象概念は必要でしょう。しかし、それは先祖崇拝であったり、自然崇拝であったり、今の宗教と比べれば身近な存在を信仰対象にしていたかと思います。それが虚構であるにせよ、身近な存在と結びついたイメージです。理由は、それで十分だったからです。その内、村は統合され国というものが出現します。今の国家とは比べ物にならない小さなものですが、既に血縁関係などによって纏められる規模ではありません。

そこで王が誕生します。最初は有能な個人だったのでしょうが、王という抽象概念は国家国民を象徴し、纏め上げる存在となります。王という虚構を中心に持つ、国家という虚構世界の出現です。それらは、虚構により維持される世界です。

世界は、人間の脳が生み出した、虚構によって成り立っています。もし、虚構を認知することができなければ、国家も王も存在しません。それに付随したあらゆるサービスも存在しなくなります。

サービスというなら、通貨もそうです。通貨も指定された価値があるという虚構の上に成り立っています。そして、通貨の価値という虚構を担保しているのは、国家という虚構が保証してくれているという幻想です。

そして、もちろん神もそうです。神が実在するかは別の議論として、神のイメージももちろん虚構です。そして、人類は神という虚構を使いこなせるからこそ、民族、国家を超えた発展をすることができました。

そして、神のイメージという虚構は時代によっても変わっていきます。先祖崇拝や、自然崇拝であったものが、一神教や民族を超える対象に変化します。これは、社会システムの変化によるものだと思われます。社会を構築する人数の増加や、多様性の変化への対応です。それは古い宗教を新しい宗教が上書きする形で起こります。

つまり、古い宗教が、新しい宗教より劣っているから、新しい宗教選ばれた訳ではないのです。新しい宗教が、より新しい社会環境、進歩した文明に適応しているから選ばれただけなのです。

もし、未来に社会環境、特に科学文明が変化すれば、宗教も変化していくことになります。もちろん、人類社会の規模と科学水準によるものですから、マッドマックスのように、文明が失われ、小規模な集団によって社会が維持されるようになれば、それに適した宗教、より原始的に見える宗教が、再び現れることだろうと思います。

虚構の力

ここで、僕が言いたいのは、宗教が社会システムに依存する、社会システムより下位にあるとではありません。あらゆる種類の宗教が社会システムに合わせて変化し得る、つまり、社会システムに合わせて変化し、最適化しているということです。逆説的に聞こえるかも知れませんが、そうであり得る理由は宗教が虚構であるからに他なりません。それはそもそも虚構なのですから、いくらでも柔軟に変化していくことが可能なのです。

例えば、王の場合はどうでしょうか。虚構が集団を纏め上げるための直接的な力は、『権威』です。原則的に、虚構が現実に影響を与える方法は権威や威厳などといった力を使います。国が大きくなれば、王に要求される権威や威厳は大きくなります。それは、王を護る衛兵などにも見てとることができます。衛兵は非常に儀式的な動作で行動します。それは、現実的な必要性だけではなく、虚構という形而学的、あるいは架空の存在に対して力を与えるためです。無論、より抽象的な存在である神に関しても同じです。宗教儀式はその宗教団体の規模が大きくなればなる程、実用性より象徴性が重視されます。神ないしは宗教団体に、権威や威厳というを与えるためです。

そのような例を出さずとも、もっと身近に虚構による影響を感じることはできるだろうと思います。例えば町工場の社長と大企業の社長を比べてみれば分かりやすいかも知れません。あくまでも一般的イメージで語っているに過ぎず、例外も多いですが、町工場の社長はより親しみ安く、大企業の社長はより権威的です。より規模の大きい組織を纏め上げるためには、より大きな虚構の力、虚構を信じる力が必要だからだと感じます。それは、より大きな恒星がより大きな引力を持ち、より多くの惑星を従えられるのと感覚的には良く似ています。

ここまで俯瞰して見てみれば、現代、僕たちを取り囲む、文化、文明、集団があらゆる意味で、妄想を基礎とし、それらを組み合わせ発展させることによって成り立っていることご理解いただけたらと思います。次の記事、『虚構の向こう側の世界③ 善悪の知恵の木の実』では、虚構に対してノンデュアリティーの人々や宗教、あるいは神話的観点から見ていきたいと思います。

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