人類は猿から進化したと言われています。それでは、猿と人間はどこが違うのでしょうか。人間と猿(チンパンジー)の遺伝子は非常に似ており、DNAの塩基配列の約98.7%が一致しているとされています。違いはわずか1.3パーセントに過ぎません。そのわずかな違いによって、人間は文明を発達させ、文化を生み出してきました。このような事実は、人類以外の猿には見られないことです。
猿と人類はどう違うのか? 認知革命
猿に限らず、旧人のネアンデルタール人なども同じです。ネアンデルタール人も文化や文明を生み出すことのないまま、現生人類と混血して消滅してしました。他の旧人類であるデニソワ人なども同じ経緯を辿っているようです。ネアンデルタール人の脳の容積は、僕たちホモ・サピエンスとほぼ同等か、わずかに大きいとされているのに関わらずです。どうやら、ネアンデルタール人の脳は、小脳がホモ・サピエンスよりも少し小さかったようです。小脳は運動能力だけでなく、記憶や言語、複雑な思考といった認知能力にも関連しており、小脳が大きいほどこれらの能力が高いと考えられています。つまり、ネアンデルタール人はこれらの能力が低かったことにより、現生人類に飲み込まれてしまったのです。
認知能力が高いことにより、ホモ・サピエンスの頭の中では具体的に何が起こり、現代の社会が築き上げられることとなったのでしょうか。イスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは、サピエンス全史という本の中で、ホモ・サピエンスが「認知革命」によって「虚構(フィクション)」を信じる能力を得たからであると書いています。そのお陰で、あなた達人類は、猿とは違い文明を築くことができたという訳です。
それでは、ハラリの言う虚構とはどのようなものなのか。それは国家や、神、民族などと言った架空の概念のことです。バナナや、美味い、満腹などという直接的な概念は、猿でも認知し使い熟すことができます。それら直接的概念を組み合わせ、発展させることにより新たに生み出された架空の概念が、ハラリの言う虚構です。人間は、その抽象概念を認知し使い熟すことで、現在まで発展し続けてきました。
集団の拡大と、虚構の役割
ダンバー数という仮説があります。霊長類の集団を維持できる人数には、大脳新皮質の大きさと相関関係があるというものです。その相関関係に当てはめると、人間が良好に関係を維持できるのは150人程度であるとされています。田舎の小さな集落程度の規模ですね。それ以上の人数になると、いざこざが起こって集団は崩壊してしまうのです。しかし、人類において、それは例外とも言える極めて小さな集団です。明らかに、それ以上の集団を人類は維持しています。
何故、そのようなことが可能になるのでしょうか。もちろん、仮説ですがそこには武器の発明が影響しているとも言われています。集団が崩壊するのは、それ以上の人数になると、集団を形成する人の顔を覚え切れなくなるからなのです。この記憶力の限界が、脳の大きさと関係しています。集団の中に、馴染みのない人が混ざり込むと、疑いが生じ争いを生むのです。結果的に、集団は崩壊します。崩壊を回避するには、秩序の維持が必要になります。そこで、投槍器(とうそうき)が発明されます。
投槍器とは、槍を遠くに投げるための道具です。鍵型になった棒の先端の部分に、槍の石突の部分(槍の後端の部分)をつがえ、棒を振る勢いを槍に乗せ、テコの原理でより遠くへ投げる道具です。まあ、槍の届く距離が伸びた分、安心できる範囲も広がることになります。実際に使われたかどうかは別にして、その抑止力により秩序は保たれることになるのす。警察官が腰に拳銃を下げているのと同じですね。ただ、それだけでは不十分です。それだけでは、集団は牢獄に過ぎません。集団を維持するためには、それ以外に求心力を持ち集団を纏め上げるための何かが必要になります。それが、虚構だったのです。
ちなみに、動物が未熟ではあっても、概念に類する機能を心に持つかという疑問に関しては、持つと思います。最近では、鳥は数種類の単語を組み合わせ文章を作り、鳴き声でそれを伝え合うという研究もされています。確か、数十単語を使い分けるそうです。『鷲が来た。危ない、逃げろ。ピヨピヨ』といった具合です。
それでは動物の言語を超えた虚構と呼ばれる抽象概念とは、一体どういった概念でしょうか。次の記事、『虚構の向こう側② 拡大する虚構』では、社会集団、文明に絞って虚構とは何か、人類にどう影響を与えてきたのかということをもう少し見ていきたいと思います。


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