台湾をXZ-10様と旅してきました。ここで、もう一度説明しておきますが、XZ-10というのは、僕が愛用しているコンパクトカメラのことです。
今はなきオリンパスから販売されていたカメラで、なかなか素晴らしい写真を撮ることができます。しかし、販売された時代がスマホが普及した後の時代で、コンパクトカメラ自体が販売不振に陥っていました。XZ-10は、せっかく良い写真の撮れる優れたカメラなのに、まったく売れないまま消えていったカメラなのです。

そんな不遇の名機に晴れの舞台を与えたくて、ベトナムはハノイへの旅を用意しました。その様子は『OLYMPUS・XZ-10でハノイを撮る』という記事にまとめてあります。今回もXZ-10様と一緒に旅をすることにしました。ちなみに、XZ-10というカメラに『様』という敬称を付けるのは、下にアップする写真が撮れたからなんですね。僕にすれば、会心の一枚と言える写真です。

台湾旅行の記事なのにいきなり、ハノイの路地の写真から始まりますが、それほど気に入っている写真なのです。この写真が撮れた後、XZ-10は敬意を込めて『様』と呼ばれるようになったのです。今回は、読みづらいと思うので敬称は省かせて頂きますが、心の中では常に敬意と共に敬称を唱えているのであります。
台中・宮原眼科
桃園国際空港に着くと直ぐに、バスに乗り台中へ向かいました。

台中にある宮原眼科の店先の通りの風景。光が立体的に重なり合った良い写真なんじゃないかなって思います。眼科と言っても、実際は病院ではありません。日本統治時代に宮原眼科という病院だった建物をリノベーションした、お土産物とアイスクリームのテイクアウトのお店です。アイスを食べましたが、なかなか美味しかったです。

アイスクリームのテイクアウトブースは行列で混み合っているので、XZ-10の小柄なボディーサイズはとても取り回しが良かったです。周囲の人に威圧感を与えずに写真を撮ることができます。もちろん、XZ-10の小ささと軽さは、旅行というシチュエーション全体においては最も有利に働く部分ではあります。
ただ、小ささ軽さを重視するならスマホで良くない?という意見もあるとは思います。スマホなら元々持っている物ですし、いくら小さくて軽いと言っても、コンデジであるXZ-10は荷物として付け加えられるものだからです。それなら、荷物がまったく増えないスマホの方が最適解でしょうという意見は確かに正解ですし、多くの方がそれを選んでいると思います。
しかしです、これは断固として言いたいのですが、撮影体験としてはスマホだけではダメなのです。実際、画質においてもスマホよりも個性的な絵が撮れます。例え様々な工夫によりスマホで同じ写真が撮れたとしても、スマホでは撮影するという行為に対する儀式的な没入感が足りないのです。カメラという機械を使ってこそ得れる実感が、スマホでの撮影には足りないのです。例えるなら、山に入って自分で狩をし猪を捕まえるのと、スーパーで豚肉のパックを買うのとの違いです。自分で狩をする方が、体験としては遥かに崇高かつ濃密なのです。
台中・千越大楼と台中駅
話を戻すと、台中を訪れたのはアイスクリームを食べるだけが目的ではなかったのです。有料廃墟として有名な千越大楼に行ってみたかったかったのです。アーティストグループが管理していて、お金を払えば建物の内部に入って撮影することが可能な廃墟です。廃墟を使ったアート作品を見てみたかったのです。しかし、結果からいうと、アーティスト達が不在で内部には入れませんでした。

廃墟一階部分で、途方に暮れる台湾人と廃墟の写真です。廃墟を見に来ていたこの台湾人の方となんとか入れないものか、建物周辺をうろついたのですが結局侵入はできませんでした。

ただ、外から見ているだけでも、デストピア的な存在に圧倒されます。

内部はこんなアートがいっぱいなんだと思われます。

結局、内部を見ることは諦め、どうしたものかと考えた結果、電車に乗って台北に戻ることにしました。台中では他に行ってみたい場所もあったのですが、翌日の台北での予定の方を重視しました。そのまま台北に向かい、台北で一泊し、早朝から行動できるようにしました。
台中駅で切符を買った後、しばらく時間が空いたので旧台中駅を見学しました。日本統治時代の1917年に建設された赤レンガの建物で、東京駅舎と同じ辰野金吾の流れを汲む辰野式スタイルで建てられています。建物はとてもノスタルジックな趣があり、保全され展示スペースやカフェとして利用されていました。


日本人が台湾を旅していると、心の奥から湧き出すような、懐かしい感情に浸れるときがあります。日本ですら失われた古き良き日本人の原風景といったものが、台湾には今もなお数多く残されているからなのです。異国の地で、本当の故郷に出会ったような気がするのです。それもこれも、台湾の方々が日本統治時代を闇雲に拒否してしまうのではなく、良かった部分、価値ある部分は積極的に認め、受け継いでいこうとしてくれているお陰です。
台湾の歴史
日本統治時代のことに触れたついでに、台湾の歴史について少しだけお勉強しておきたいと思います。サクッと知識を入れることができるので、お勉強というほどのものではないです。ただ、それを知ることによって、台湾旅行はより深い感慨を持ちますし、台湾と中国との関係により確かな意見を持ち得るかと思います。
先史時代
台湾の場合、先史時代という時代が1624年まで続きます。その時代は、原住民が様々な部族に分かれて住んでいたのです。彼らは、言語もバラバラで、むろん国家というようなものも持ってはいませんでした。ちなみに原住民というと、差別的な呼び方に聞こえるかも知れないですが、決してそのような意図があって使われているのではありません。これは政府が正式にそう呼ぶように指定しているもので、先住民と呼んでしまうと今は滅んで存在しないように感じさせてしまうからという理由と、元々の台湾人として尊敬を込めた呼び名のようです。
オランダ統治時代
1624年。明との戦争の後、台湾はオランダの支配下に入ります。その後、遅れてやって来たスペインとの間で抗争が繰り広げられ、結果的に、1642年、オランダがスペイン勢力を台湾から駆逐します。
鄭氏政権時代
大陸中国では明が清に滅ぼされ、明の復興を目指した鄭成功が、反撃の拠点とするため台湾からオランダ勢力を追い出し、1661年に延平王国や、東寧王国などとも呼ばれる地方政権を樹立します。大陸からも多くの漢民族が流入し、この時初めていわゆる中国人による台湾支配が行われたわけです。その功績により鄭成功は、孫文や蒋介石と並び、三人の国神の一人として台湾人から尊敬される存在です。
ちなみに、この鄭成功という人物は日本の長崎生まれです。父は中国人、母は日本人のハーフなんですね。日本名は、田川福松です。台湾という国家のアイデンティティの始まりに、日本人の血が半分でも入っているのは、日本人として嬉しい限りであります。
清朝統治時代
元々、清朝は台湾を『化外の地』と呼び、自国領という意識もあまりなかったようですが、反抗勢力である鄭氏政権を倒すため台湾に攻め込み、1683年に征圧し清朝の支配が始まります。しかし、清朝からすれば、敵対勢力を倒したら、欲しくもない島が付いてきたという程度のことで、台湾に対する積極的な投資は行いませんでした。
清朝が積極的に台湾を統治するようになったのは、1800年代半ばにまで時代を降ることになります。日本を含めた列強の脅威に対抗するための、台湾の重要性にやっと気が付いたのです。
日本統治時代
1895年、日清戦争に勝利した日本は、下関条約によって清朝から台湾を割譲され日本に併合します。この間に台湾民主国という国が存在していたようですが、5ヶ月間だけしか存在していなかったし、国際的には国家として承認されていなかったようですので特に触れることはしません。
ここから、日本が敗戦する1945年までが、いわゆる日本統治時代と呼ばれる時代になります。そして、台湾全土が初めて統一された時代の始まりです。それまでは、台湾の一部を支配した勢力はあっても全土を支配した勢力はなかったのです。この事実は意外と重要なことかも知れないと感じています。地政学的に見た場合の台湾というアイデンティティは、この頃初めて確立されたのではないかと思うからです。
日本統治時代、日本が台湾の人々に何をし、台湾の人々がそれに対してどう感じ考えたのかを、ここに書くことはしません。十分な知識がないし、支配されていた人々の気持ちを慮ると、なかなか判断するのが難しいし、軽々しく断定するのは避けるべきだと思うからです。まあ、それでも少しばかり推測するなら、『犬が去り豚が来た』という言葉が参考になるかも知れません。日本が敗戦して台湾から撤退した後、大陸から国民党かやって来た状況を揶揄する言葉です。日本は口うるさかったが、番犬としては確かに役に立った。しかし、その後に訪れた国民党は、すべてを貪り食うだけの豚だという意味です。
中華民国統治時代
中国共産党との戦いに敗れた蒋介石率いる国民党軍が、台湾に逃げ延びてきて作った国が、現代の中華民国です。一時期中国を支配していた中華民国が、台湾に追いやられ押し込められた感じです。ちなみに、台湾の首都は、台北ではなくいまだに北京です。中国の支配権は国民党にあるという姿勢を誇示し続けているから、つまり、台湾の中華民国、大陸の中華人民共和国が共に『一つの中国原則』を誇示しているからです。二つの中国がある訳ではなく、中国は一つしかない。それをどちらが支配しているかということです。そういう見地からすれば、両国にとって、台湾は自国領の中の一部地域に過ぎないのです。ちなみに台湾独立派という人々の指す『独立』とは、中華人民共和国からの中華民国の独立を指すのではなく、それら広大な領土からの台湾という一部地域の国家としての独立を指します。
台湾の歴史に関する個人的意見
こうやって歴史を見てみると、台湾が中国であると言われても、少し違和感があります。大国に翻弄されてきた歴史と見ることもできますが、だからといって何処かの国に属していると言えるほどの支配を受けていたことはありません。
サンフランシスコ平和条約で日本は台湾の領有を放棄しました。そして、台湾に関する領有権を持つ国は明確にされないまま、台湾の管理は一時的に中華民国に委ねられただけだとも言われています。それをして、台湾は今も日本に属し、我々は今も日本人だという台湾人のグループもいるそうです。日本のことを愛してくれるのは嬉しいのですが、さすがにそれはないよなって思います。かなり、台湾人でも特殊な人々なのだろうと思うのです。
とはあれ、やはり台湾は国家として台湾だなって思うのです。

そういう訳で、歴史に思いを馳せながら、自強号というやたら強そうな列車に飛び乗り台北に向かいました。台北到着後は、通化夜市というところを散策。夜食を食べて、台湾の夜の雰囲気を満喫しました。暗いところが苦手なXZ-10様も、台湾の良さを伝えようと必死に頑張ってくれています。
『台灣 × XZ-10 = モノミスごっこ』へ続きます
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