中空構造と、不思議の国・日本

政治

ちまたでは、デープステートなどといった陰謀論が盛んに囁かれています。デープステートは影の政府とも言い、実際の政府とは違う政府があって、実質的に国家を支配しているのはそちらの方の権力であるというものです。僕の友達にも、陰謀論にハマってしまっている人がいて、否定しようものならあからさまに呆れた顔をされ、無知な奴と憐れまれてしまったりするのです。

日本を動かすのは何者か

ちなみに、トランプ大統領は自分が悪のディープステートと戦うヒーローであるという印象を植え付け、選挙戦を有利に運ぶため、この陰謀論を積極的に利用したように感じます。トランプ大統領は、コロナ陰謀論や、大統領選挙での不正、トランプ大統領が悪と戦っていると信じるQアノンやその信奉者を上手く利用しました。もちろん、相手側の勢力もトランプ大統領に対する多くのデマを流し、自分達に有利な状況を作り出そうと印象操作を試みました。

トランプ大統領の出馬したアメリカの大統領選は、ある意味陰謀論という妄想の中で戦われた、初めての選挙だったのではないかと思います。ちなみに、誤解のないように断っておくと、僕は陰謀論を信じてはいませんが、それ以外の部分でトランプ大統領を支持しています。

しかしながら、日本の政治を見るに付け、誰が国家をコントロールしているのだろうと不思議に思うときがあります。政府は混乱し、国会は空転し、官僚は既得利権にしがみ付いているだけにしか見えないのです。誰一人として、責任を持ち決断を下しているようには思えないのです。それなのに、それなりに国が運営されているのは、影の政府が裏で糸を引いてるとしか思えません。それって、まるまる陰謀論じゃん。陰謀論は信じないんじゃなかったの?と思われるかと思いますが、陰謀論でも信じなければ説明が付かないということなのです。

政治家は無能で、次の選挙で当選できるかどうかしか頭にないように思えます。昔は、それでも官僚が有能だから何とかなっていると言われていた時代もありました。しかし、今となっては、それも期待できないように思われます。それこそ、アメリカ大統領のように、国家という視点で計画を立て決断し、日本を動かしている組織や個人がどこにも存在しないように思えます。人によって意見の分かれるところではありますが、それなのにというか、それなりにというか、まあまあ良い感じで国家が運営されているようにも感じるのです。

そうだとするなら、ディープステートなどといった影の政府が存在し、見えない裏側から日本を動かしているのではないかという陰謀論も真実味を帯びる訳です。まあしかし、冷静になって陰謀論を排除して考えるなら、いったい誰がこの国を動かしているのでしょうか?

船頭の居ない船

もしかして……、もしかして、まさかそんなことはないと思うのですが、誰もこの国をコントロールしていないんじゃないのか?

つまり、誰も何も決めていないのにも関わらず、何となく物事が決まって、それがまあまあ上手くいってしまっているのではないかと思えるのです。それは、船頭の居ない船が、ふらふらと流れていって、目的の港に着いてしまうようなものです。

しかしながら、会社の会議や、友達同士での会話の中でも、どうしよう?どうしよう?と言っている内に、なんとなく物事が決まっていることも稀ではありません。おそらく、日本以外の国で、そんなことは起こらないと思います。なにしろ、船長の居ない船が乗客を乗せて、海原を進んでいるようなものです。こんな恐ろしいことはありません。ディープステートが日本を操ってくれた方が、まだ安心できるのではないでしょうか?

それでは、デープステートは存在せず、誰も何も決めていないという仮定の上に話を進めていきたいと思います。ここに仮定が挟まっていることには留意が必要ではありますが、ウォルフレンの『日本/権力構造の謎』という書籍にも同じようなことが書かれています。

日本人の自我構造

明確な意思決定がなされていないのにも関わらず、物事が決定していくとするなら、そこには曖昧であったとしても決定に至る過程があるはずです。そして、その過程を司っているのは、やはり決定主体である自我のはずです。そこで、日本人の自我に付いてもう少し探っていきたいと思います。

ユング派の心理学者である河合隼雄氏は、『中空構造日本の深層』という書籍の中で、日本人の心の中心は空であると言っていました。空っぽと言われると、否定的で批判的な意味に感じますが、そういうことではありません。

河合隼雄氏は、日本の神話からその着想を得ています。日本の神話では初期に三柱の神が連続する時期があります。例えばアマテラス、ツクヨミ、スサノオのような関係です。アマテラスとスサノオのことは知っていても、ツクヨミ?誰?といった状態だろうと思いますが、アマテラスの弟でスサノオの兄です。アマテラスとスサノオは大喧嘩を繰り広げますが、ツクヨミは何もしません。何もしないけれど、やはりそこに居るのです。そのツクヨミこそが、対立の中心にある空です。

そして、その何もしないのに存在はしている中空が、日本人の心にどのような影響を与えているのかということも説明されていました。何もしない空っぽなものが、それでも中心に存在していることにより、何か他のものがその中空に取って変わることができないのです。つまり、西洋人の自我は対立の結果、その克服者が心の中心を占めています。心の中心に克服者が存在しているのなら、その克服者より優れた克服者が現れることにより、心自体が新しい克服者の論理に置き換わってしまうことになります。しかし、中心が空っぽのものならそれを否定することはできないですし、それ以上そこに何かを詰め込むことはできません。そこには空っぽがあるのです。

心の中心を奪われてしまう可能性が日本人にあったのかということに関して、河合隼雄氏は仏教の伝来を例に挙げていました。仏教は日本人に多大な影響を与えましたが、結局、日本人の心の中心には成り得ていないと言うのです。おそらく、キリスト教もそうだと思います。克服者の論理では日本人の心の中空に取って代わることはできないのです。これは臨床的観察に基づいた、とても深い洞察です。そして、神話と心は直接的な関連性を、現代でも持っているという事実でもあります。

中空構造は日本的自我をもたらすのか

それでは、その中空構造が日本人の自我にどのような影響を与えているのかを、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

つまり、日本人の自我は、他者と認識されているものに中心を奪われることがないのです。奪われることがないのなら、自我を強めて自分を守る必要はなくなります。それに比べて、西洋人の自我は『我思う、故に我あり』という言葉でも分かるように、存在の前提と言って良いほど強固であり、その中心には理論があります。ギリシャ神話に始まり、その中心はゼウスで、キリスト教的な意味でならロゴスです。その中心を脅かされることは、存在の根元を破壊されることに等しいといえます。つまり、他者に脅かされないよう常に自我を強固にしておかなければならず、西洋人のこの自我の有り様もまた、神話を原因としているといえます。

不思議の国・日本

まとめるなら、西洋人の自我はダイヤモンドのように強固になることによって破壊されず、日本人の自我は霧のように実体を持たないからこそ破壊し得ないと言えるのかも知れません。では、日本人の霧のような自我は西洋人のように確固とした主体性を持たないのかというと、それもそうではありません。日本人は、最終的に個人が象徴としての『切腹』という手段で責任を取るのです。その『切腹』に至る経緯は、御家騒動であったり、決して個人の責任ばかりとは限らないにも関わらずです。自らの理性によって自らの命を断つ、霧のようだった自我は、そこに痛々しいほどの主体性を持って結実することになるのです。

おそらく霧のような曖昧な自我は、集団の中で混じり合い一個の霧として集合的無意識の中から、輪郭を強めるように答えを導き出していくのだと思います。そして、その答えこそ、国家を動かす意志なのだと思います。誰も決定していないように見えて、誰もが決定に参加しているのです。ただ、過程は霧のように曖昧で、個として自我が主体性を持って姿を表すのが、決定の下された後であるというだけです。これは、西洋人において、個である自我から発信し、全体に変化を与えるのとは逆の過程であり、全体から発信し個に帰着し、自我を生み出すのです。

なんとなく雰囲気で決まっている、ないしは、何も決まらないまま進んでいき、結果が現れた瞬間に意思が決定するなどといった、陰謀論者の言うディープステートなどといったものの100倍くらい摩訶不思議で掴みどころのないものによって、日本という国家の方針は決定されているのではないかと思うのです。そして、これは日本人の心の深層にある中空構造によって、自我が強固さを持たず、霧のように曖昧な状態で存在し得るからこそ起こり得るのです。

日本の政府がいい加減で、陰謀論で囁かれるデープステートなどが存在せずとも、なんとか国家が運営できているのも、それが原因なのではないかと思います。そして、それらの結果がそれなりに良い結果になっているのが、さらに摩訶不思議なところなのです。

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