ネパール=プリコラージュっぽい旅・ポカラ〜カトマンズ

旅行記

 早朝のポカラの街は、昨夜の疲労を引きずっているようだった。夢の余韻から世界を眺めているように、現実は気だるく、いまだ控え目にしか主張してくることはなかった。それでも旅は途中で、想い出に浸るには早過ぎる。開いている店を見つけると、僕は朝食を摂り、コーヒーを飲む。街を眺めながら、ポカラはアジアの発展途上国にあるにしては、とても品の良い街であることを感じる。街が完全に活動を始める少し手前で、カトマンズに戻るためにタクシーを拾った。

カトマンズで初詣

 カトマンズの空港に着くと、市街地に向かう前に、空港近くのヒンドゥー教寺院に向かう。パシュパティナートというネパール最大のヒンドゥー教寺院であり、僕がカトマンズに到着して初めて入った食堂の店員から勧めてもらった観光スポットの中で、まだ訪れていなかった最後の場所である。明日の昼前にはネパールを出国し、日本に戻ることになる。おそらく大したことはできないので、実質的に今日がネパールで行動する最終日になる。僕は、やり残したこと、やっておかなければならないことをするために今日という一日を使うことにする。

 ただ、このパシュパティナートという寺院も食堂の店員から教えてもらった時からは、意味を少し変えている。つまり、今となっては元旦の寺院なのである。元旦にお寺へ行くということは、それ即ち初詣なのである。帰国してから調べてみると、やはりネパールでも初詣をするらしい。もちろん日本の初詣とは少し違うのだろうが、早朝から家族や友達と一緒にお寺にお参りする習慣がある。そしてこのパシュパティナートはネパール最大の寺院である。とにかく凄い人出だった。

 入り口付近はそうでもなかったが、ガンジス川の支流であるバグマティ川に近付くと人の数がドンドン増え始める。ここの場所は遺体が火葬にされる焼場なのである。ガンジス川と言っても支流であり、川幅は20メートル程度しかなく、ヒンドゥー教徒以外はその対岸から火葬の様子を眺めることになっている。しかし、その時の僕はそのルールを知らず、人の流れに押し流されるように橋を渡って、対岸の焼き場まで迷い込んでしまう。積み上げられた薪の上に遺体が乗せられ、藁のような物がその上から被せられている。すべてが焼け焦げ灰になろうとしていて、遺体を明確に判別することはできないが、そこには、綺麗事でラッピングされていない死があった。そこに不快感はなかったが、遺体を焼いている煙に煽られ上手く呼吸ができなくなり、僕は早々にその場を立ち去る。

 パシュパティナート寺院の敷地は広大で、複数のお寺が建ち並んでいた。どこが中心的な建物かも分からないまま、取りあえすお参りしていく。サドゥーや占いをしている人達がいた。更に、石段を登って敷地内の山を登っていくと、頂上辺りにも多くの石造りの建物が建っている。樹木の間に立つ姿はラピュタのようで、異世界感がムンムンしていた。人混みの作り出す熱気の中で意図せず初詣を済ますと、カトマンズの市街地に向かう。

旅の終わりへ

 カトマンズ市内は大まかには見終わっていたが、じっくり見てみても面白い。複数の路地が歴史的な建物の中で網の目のように絡み合い、有機的な迷路のように広がっていく。次の路地で何に出会うのか、心の底でワクワク感が渦巻いてくる。街の一角には部隊が設置され、一日中コンサートが開催されていた。お土産を買っても、『ニューイヤーだから』と言って値引きしてもらえる。すべての出来事が、それ以外、そしてそれ以上ない完璧なタイミングで、必然的に起こっているって実感を感じる。その唯一の流れに押し流されながら、僕の旅は終わりに向かって進んでいった。

 翌朝、食事を食べて街に人出が溢れる頃に、僕は空港へ向かいネパール旅は終わるのだけれど、後ろ髪を引かれるような名残惜しさは感じなかった。すべてが完璧で満足していて、それ以上を望む気持ちにはなれなかった。それ以上の旅をできるとも思わなかった。

プレコラージュによって紡がれる旅

 というのが、今回のネパール旅の『あらまし』です。そして、それがプレコラージュという概念とどう関係しているのかということなのですが、『計画に従わず、あり合わせのものを寄せ集め、それらを使って何が作れるかを試行錯誤しながら、結果的に新しいものを作り上げる』という部分です。計画も立てずに始まった旅行だからこそ、計画する以上の結果を獲得できるということ。そして、新しいものを作り上げると言う結果から見てみれば、それが偶然という過程を辿るからこそ、必然的結果に到達できるということです。

 例えば、ルンビニで取った飛行機のチケットが翌日ではなく当日であったとすれば、お釈迦さまと共にルンビニを味わうような経験はできなかっただろうし、ポカラで大晦日を過ごすこともなかった。カトマンズで初詣をすることもできなかった訳である。そもそも、帰国便のチケット自体が間違って買っていて、最初の予定より旅行の日程が一日長くなっていました。もし僕が勘違いせず旅の日程が一日短かったとすれば、ポカラを訪れることはなかったと思う。もしかしたら、そんな短い旅行期間では、ネパールに行こうとすらしていなかったかも知れない。厳密な予定を立てず、間違いすら取り込み、偶然を辿ったからこそ、僕は自分を驚かせる予想以上の旅をすることができたのです。

 僕がネパールの旅で経験したように、プレコラージュという手法こそ予想外を辿り予想以上の結果、つまり自分自身を驚かす予想も付かない必然的到達点に辿り着く、唯一の方法なのだと思う。

おしまい

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