ネパール=プリコラージュっぽい旅・カトマンズ〜ルンビニ

旅行記

 僕は比較的旅が好きな方だと思う。特に海外旅行が好きである。そして何度か旅行をしていると、自分なりの旅行スタイルのようなものが出来上がってくる。僕の場合は、行き先を決め飛行機のチケットだけを買うと、後は何も決めない行き当たりばったりの旅をする。最近レヴィ=ストロースのことを調べ始めて、この旅のスタイルを勝手に『プリコラージュっぽい旅』と呼んでいる。

 プリコラージュとは、フランスの民俗学者であり哲学者のクロード・レヴィ=ストロースによって取り上げられた概念であり、計画的には準備されていない、その場その場の限られたあり合わせの道具と材料を用いてものを造ることを指し、日本では「起用仕事」や「日曜大工」と訳されるそうです。

 もちろんプリコラージュという概念を意識する前からその様な旅行は行ってきたし、旅行に限らず僕は小説などを書くのですが、それにしてもストーリーを決めず書き進め、その場その場の状況に従って次の展開を考えるプリコラージュ的な手法を取ります。プリコラージュという概念を知ってから振り返ると、生活の全てがプリコラージュ的だと言えると感じました。

 今回、ネパールを旅してきたので、プリコラージュ的な観点から旅行記を書いていきたいと思います。

失敗していた旅の準備

 そもそも、慎重に計画を立てていたなら、行こうとすら思わない国だっただと思う。安い飛行機のチケットを選ぶと、片道二十四時間以上掛かってしまう。もちろん、僕は安いチケットしか買えない。飛行機が都合の良い時間に出発してくれる訳ではないので、旅行の工程の前後一日半程度、合計で三日から四日程度は移動に費やされてしまう訳である。一週間仕事の休みを取ったとして、実際にネパールを旅できるのは四日程度しかない。それでは余りにも効率が悪過ぎる。そんな旅をしようなんて者は居ない。

 それなのに、僕は一週間の休みでネパール行きを決定してしまったのです。その非合理な判断は、僕の勘違いの結果でした。僕は帰りのチケットの日程を間違って取っていて、旅行の日程を一日長く思い違いしていたのである。それに気付かないまま、「七日休みを取って、現地で五泊六日過ごせるなら、ネパールでもまあ良いか」といった具合である。僕のネパール行きは、そんな勘違いから始まったのです。

 僕がネパールの飛行機のチケットを間違って取っていることに気付いたのは、旅行も差し迫った頃でした。仕事の労働契約上、七日間の休みの後にもう一日休みを取らないといけないことが発覚し、持て余した一日を友達と過ごそうかと、チケットを見直した時でした。「七日目に現地を出発することになってる。てことは帰国するのは翌日の八日目や」ということに気付いたのです。つまり、七日目に日本に到着するつもりが、七日目にネパールを出国するチケットを買ってしまっていたのです。結局、余分に一日休みを取っていたので、帰国後の予定を変更するだけでチケットを取り直すこともなくことなきを得ましたが、勘違いしていなかったら行くはずのなかったネパール旅行は始まり、この勘違いはその後も旅行の内容を決定付けていくのでした。

カトマンズからルンビニへ。バス移動は大変厳しい

 実質的に飛行機に乗っていた時間は合計で9時間だったのですが、3台の飛行機を乗り継ぎ、乗り継ぎの待ち時間は空港で過ごすという25時間の地獄の行程あと、ネパールの首都であるカトマンズに到着するのです。ただ、できればお釈迦様の生まれたルンビニって町には行きたいなって思っているぐらいで、カトマンズで何をするっていう計画もまるで立ててない。取り合えず昼飯を食べたお店の店員さんに、カトマンズのお勧めスポットを教わる。まあ、ルンビニ行きのバスは翌朝になるらしいので、その日は勧められたスポットの幾つかを回り、カトマンズの町のだいたいの構造と雰囲気を把握しようと試みる。

 観光客の集まるタメル地区から、クマリの館や王宮のあるダルバール広場の間を散策する。この区域は旧市街であり、古い建物や寺院が集中している。幾ら眺めていても飽きない魅力がある。そういう訳でその日は、ここには書けないことも色々して、ネパールの雰囲気を感じながら就寝するのである。

 翌日は早朝に起きて、ルンビニ行きのバスに飛び乗る。朝の6時に出発するので昼過ぎに到着するだろうと予想するが、ルンビニ近くのバス停に着いたのが夕方の6時。そこからルンビニまでトゥクトゥクを走らすが、食事などをしていたため、ルンビニ到着は夜の8時近くになる。おまけにルンビニはお釈迦さまが生まれた場所という以外に何もない田舎の集落なので、ホテルを取って寝るしかなくなる。

バスの休憩中

 つまり、早朝に起きて、バスで移動して一日が終わってしまったのである。それでなくても短い滞在期間の内の一日をバス移動に使ってしまったのである。確かに、バスでの移動は気取らないネパール一般庶民の暮らしを肌で感じるには良い方法である。実際、12時間のバスに乗っている間、バスでしか味わえない経験をさせてもらった。しかし、限られた期間しかない旅で、それは一度で十分なのである。それなのに、行ったら帰らなくてはならない。つまり、もう一度同じ行為を繰り返さなければならない。少し考えなければならないと思いながら、その日は眠りに着くのでした。

お釈迦さま誕生の地・ルンビニ

 軽めの朝食を取ると直ぐにルンビニの公園へ向かう。ルンビニはお釈迦さまが生まれた場所で、仏教徒にとって四大聖地と言われる重要な場所。伝説として子供の頃から何度も聞いていた場所である。伝説の場所に、実際に佇むというのはなかなかできる経験ではない。例えば、天照大神が隠れた天岩戸に隠れることはできないし、いなばの白兎が皮を剥かれた海岸に佇むこともできない。しかし、ここルンビニでは、お釈迦さまがお母様の脇から生まれ七歩歩いて『天上天下唯我独尊』と言った伝説の場所にピンポイントで佇むことができるのである。計画も立てていない旅で、唯一目的と言えそうなものが、ルンビニを訪れお釈迦さまの生まれた場所に佇むということだった。

ルンビニの食堂

 ルンビニは、お釈迦さま生誕の地であるマヤ・デヴィ寺院を中心とした広大な公園であり、様々な国の仏教寺院が建っている。お釈迦さまは釈迦族の王子様だった訳で、その領土はこの場所を中心に半径30キロ程度だと言われている。今の感覚では、国家というより地域の部族の領土って感じである。

ルンビニ村の食堂
ルンビニ村の風景

 取り敢えず、マヤ・デヴィ寺院を訪れる。この場所こそがお釈迦さまが生まれ、産湯を使った場所である。つまり、お母さんのマーヤー夫人の脇から生まれ、7歩歩いて「天上天下唯我独尊」という言葉を残したという伝説の場所である。元々、仏教の聖地だったが一旦廃れて場所が分からなくなっていたのだが、後の発掘調査でアショーカ王の石柱が発見され、ここがお釈迦さまの生誕の地であることが証明された。そのアショーカ王の石柱も実物が残っている。

早朝のルンビニ公園

 アショーカ王の石柱、お釈迦さまが産湯を使われたプスカリニ池、菩提樹の樹、マヤ・デヴィ寺院。ともかくそれらを見たという事実をかき集めていく。聖園と呼ばれるルンビニ公園の中心を見終わると、公園全体に散らばる各国の寺院を、トゥクトゥクに乗って見て回る。かなりゆっくりと見て回るが、全てを見て回ってもお昼には見るものがなくなってしまう。

アショーカ王の石柱と、菩提樹の樹と、マヤ・デヴィ寺院
公園内にある寺院。至る所に天上天下唯我独尊の仏像(誕生仏)がある
日本の奈良で買って、汗拭き用に持参した仏像タオルにも、偶然誕生仏がいた。

 そしてこのルンビニという町は、それ以外には何もないのである。僕はルンビニを早々に切り上げ、違う町に向かおうと考える。ただ、前日のバス移動の経験があるため、快適で効率的な移動手段を求めて旅行会社に向かう。カウンターの男性にポカラという町に行きたいことを伝える。ただ、ポカラへ行く当日の飛行機は売り切れで、翌日の飛行機しかないと言われる。バスもツーリストバスはないと言われ、ローカルバスも翌日の早朝しかないと言われる。それなら、翌日の飛行機の方が早く到着するのである。

 結局、その旅行会社で、ポカラ行きのチケットと、ポカラからカトマンズに戻る飛行機のチケットを買うことになる。ここで旅行の大体の行程が決定する。そして、それは全てを見終わり、するべきことのなくなったルンビニに、ほぼ一日足止めを食うということでもあった。

やることのないルンビニの犬

 仕方がないので、もう一泊ホテルを取ると、何をするかを考える。旅行という始まりから終わりまで止まることのない流れの中で、何もすることのない時間が生まれてしまったのである。流れから投げ出されてしまった僕は、食事を済ますとホテルでしばらく横になり、何をするべきかぼんやりと考える。ただいくら考えたところでこのルンビニという町では、お釈迦さまの生まれた場所であるルンビニ公園に行くしかすることがないのである。

空っぽの時間

 陽が傾き少し過しやすくなってから、僕はもう一度公園を訪れる。ただ、見るべき物は全て見てしまっているから無目的な散歩くらいしかすることがない。夕暮れの公園を歩きながら、それでも僕は自分がとても充実感を感じていることに気付いた。二千六百年前にお釈迦さまが踏み締めたであろう土地を踏みしめながら、当時の様子に想いを馳せ。「まあ、うちの実家でゆっくりしてけよ。おかんには言っとくからよ」ってお釈迦さまから言われた気がした。

 唯一、旅の目的と言えたルンビニを訪れて、その目的を手放して、初めて自分がルンビニの楽しみ方を理解したように思えた。ルンビニは記念撮影的に訪れたという事実を書き込むような場所ではなく、その土地の雰囲気をゆったりと味わう場所なんだなって思った。その為に邪魔になる、意図的な自分を傍らにどかしておいて、意図以上のすべてを詰め込むことのできる、空っぽの時間を用意しておかなければならなかったんだなって感じた。

 結局は、次の日の朝もルンビニ公園を、ゆっくりと時間を掛けて散歩し、丁寧に雰囲気を感じ取り、心を土地の記憶に寄り添わせる。その記憶の深層には確かに、お釈迦さまが暮らしていた頃の記憶がいまも存在している。散歩以外、何もすることのない時間に、僕はとても充実感を感じる。そして、お釈迦さまの実家に別れを告げると、次の目的地であるポカラに向かうために空港へと向かうのでした。

ルンビニからポカラへ

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